土方歳三は、幕末に活躍した剣豪集団新選組の副長として知られています。
新選組は様々な歴史小説やテレビドラマ、ゲーム等に取り上げられ、今もなお多くの歴史ファンを魅了し続けている存在です。
土方歳三の晩年と最期がどのようなものだったのか紹介します。
土方歳三とは?
土方歳三は、幕末に江戸幕府が治安を維持するために組織した新選組の副長です。
武蔵国の豪農の家に生まれますが、行商をしながら剣術道場に通い腕を磨きました。
そして、近藤勇と出会い、二人は義兄弟の契りを結びます。
文久3年に江戸幕府が将軍徳川家茂を警護する浪士隊を募集すると、近藤と共に応募し京都に赴きました。
新選組の名前を世に知らしめたのは池田屋事件で、尊王攘夷派の浪士達を新選組が襲撃したものです。
池田谷事件でも土方は、近藤を助けて働きました。
土方歳三の晩年
新選組が最も活躍したのは池田谷事件の頃だったのは間違いありません。
慶応3年に土方歳三は幕臣に取り立てられますが、徳川慶喜が将軍職を辞して大政奉還を行ったことで江戸幕府は終焉を迎えます。
薩摩・長州・土佐藩士達を中心とする新政府軍と旧幕府軍とが激突する戊辰戦争が勃発すると、土方は負傷した近藤勇の代わりに新選組を率いて旧幕府軍として戦いました。
しかし、外国から最新式の武器を輸入していた新政府軍に対し、旧式の武器しか持たない旧幕府軍は敗北します。
近藤勇が新政府軍に捕らえられ斬首された後も、各地を転戦し戦い続けました。
土方歳三の最期
土方歳三は東北の地で、榎本武揚が率いる旧幕府軍と合流して蝦夷地へ渡ります。
五稜郭に入り榎本を総裁とする蝦夷共和国を樹立しますが、新政府軍との抗戦中に戦士しました。
函館五稜郭は、戊辰戦争最期の戦場となった場所です。
土方歳三は、馬上で指揮をとっていたところを狙撃されたといいます。
土方歳三の死因
土方歳三の最期については色々な説がありますが、銃弾を受けて落馬したのは間違いないようです。
即死だったのか、しばらくの間息があったのかはっきりしません。
味方が土方の首を敵にとられないようにと埋葬したため、埋葬場所も明確ではないのです。
信憑性は非常に低いですが、生き延びてロシアにたどり着いたという説もあります。
土方歳三をめぐる逸話
土方歳三は鬼の副長と恐れられており、規律に厳しかったといわれています。
4箇条を制定し、それを新選組の隊士達に守らせました。
それを破った場合には容赦なく粛清され、切腹しなければならなかったといいます。
その一方で容姿が良かったため、女性からはモテたという逸話も残されています。
まとめ
土方歳三は新選組の隊士の中でも、最後の最後まで新政府軍と戦い続けた人物です。
新選組の局長である近藤勇が斬首された後も、各地を転戦して戦い続けました。
最期を遂げたのは戊辰戦争最後の戦場となった五稜郭です。
馬上で指揮をとっていたところを狙撃され、命を落としました。