ミスター平凡から日活ニューフェイスの王道を歩んだ「葉山良二」の散り際とは?
この記事では葉山良二の晩年と散り際について解説していきます。
「葉山良二」とは?簡単に説明
今は亡き『平凡パンチ』や『月刊平凡』を送り出した現マガジンハウス社が旧社名時代に開催した『ミスター・ミス平凡』で1953年度のミスター平凡に輝いたのが葉山氏です。
当時同グランプリは回を重ねるごとにスターへの登竜門として認知される様になっていました。
これを契機に翌年には全盛期の日活ニューフェイスの第2期メンバーに選ばれ、映画スターへの道を踏み出しています。
しかし多くの映画スター同様、映画産業の斜陽化によりテレビへと転身。
その後は刑事ドラマ、時代劇を中心に活躍しています。
「葉山良二」の晩年
日活ニューフェイス時代・テレビ移行期とは全く異なる悪役や悪代官を演じており、人気番組でしばしばその姿を見ることができました。
また昭和40年代後半に東映の『新兄弟仁義』『兄弟仁義 逆縁の盃』に出演。
いわゆる兄弟仁義シリーズで「北島三郎」氏と共演した縁もあってか多くの舞台『北島三郎特別公演』に参加しています。
ほぼ毎年レギュラーメンバーとして活躍しており、晩年も89年『あばれ無法松』90年『どぶろくの辰』91年『清水次郎長』と出演を重ねました。
しかし92年の公演に葉山氏の名前はありませんでした。
「葉山良二」の死に様
1993年1月3日、元女優であるゆう子夫人の出身地でもある大阪市内の入院先で永眠しています。
60歳没。
死因や詳細についてはほとんど情報が公表されていません。
「葉山良二」の死に様の信憑性
具体的な闘病生活について語られた文献はなく、夫人のゆう子氏も結婚後早い段階で芸能界を離れたこともあり、詳細についてはほとんどわからない状態です。
推測できる要素としては10年来レギュラー出演を果たしていた北島氏の舞台『北島三郎特別公演男の情炎』を欠席していることでしょう。
舞台のデメリットは当然あり、約1ヶ月間に渡る公演期間と稽古に時間は取られます。
また公演地が東京だけではなく大阪、名古屋、博多と言った地方都市公演が1ヶ月続く年もあるためスケジュールが合わなかった可能性もあるでしょう。
客観的に見て10年以上継続参加してきた舞台を突然休場した違和感は残ります。
既に92年は体調が悪くて同公演に参加できなかった可能性が高いのではないのでしょうか。
まとめ
1993年1月3日に夫人の出身地でもある大阪で逝去。
60歳没。
死因は心不全によるものでした。
これ以外にはほとんど情報が出ていないのが現状です。
前年は兄弟仁義シリーズ以来の付き合いでもあった北島氏の舞台『北島三郎特別公演男の情炎』への出演を見合わせていました。
10年来のレギュラーとして参加していること、93年年始に亡くなったことを踏まえれば、既に92年はなんらかの体調不良、病気療養中だった可能性が高いと推測されます。