西日本を代表する炒飯のプロ「程一彦」の死に際とは?
この記事では程一彦の晩年と死に際について解説していきます。
「程一彦」とは?簡単に説明
ラーメン、餃子、麻婆豆腐などともに日本の国民食にまで昇華した炒飯。
炒飯といえば東の「周富徳」氏と並ぶ双璧なのが西の「程一彦」氏だと言っていいでしょう。
溶き卵の中にご飯を入れてから焼き上げる炒飯の手法は程氏の番組を通じて90年代以降広く浸透していきました。
また大阪キタに構えた台湾料理『龍潭』は関西在住経験があれば1度は足を運んだ経験のある方も多いのではないでしょうか。
関西ローカルの料理番組では「神田川俊郎」氏とともに良く知られた存在でした。
「程一彦」の晩年
兵庫県宝塚市の自宅マンションで料理教室を開講しています。
1回約3時間に渡るレッスンですが、これは晩年に限りません。
変わった事は2018年春からは子供達に向けての料理教室を開いた事でしょう。
料理教室を通じて食育のメッセージを投げかけています。
19年3月には新名神宝塚北SAにてご当地カレーを販売開始。
かつて自身のブランドで初商品化した思い入れのあるカレーを再販した事に感無量な姿を会見で見せています。
同年5月の『高槻ジャズストリート』でも『程一彦と関学軽音OB「BAD BOYS」』として参加。
健在な姿を見せており、1ヶ月後の不測の事態を想像できた方はいなかったはずです。
「程一彦」の死に様
2019年6月23日午前、台湾・台北市内のホテルにて亡くなった姿で発見されています。
81歳没。
死因は公表されていないため不明。
「程一彦」の死に様の信憑性
ほとんど詳しい情報はなく、ご当地関西ローカル色の強いデイリースポーツ紙でも目立った情報は書かれていませんでした。
台湾を訪れた理由は毎年の恒例行事、自身の舌で吟味した隠れた名店を巡るグルメツアーの仕事によるものです。
程氏は1999年から開催された『高槻ジャズストリート』に毎年欠かさず参加。
テレビを見ながら4キロ強の鉄アレイで筋力トレーニングを行い、現役で鉄鍋を扱ったり、ジャズボーカリストとして行動する為の努力も怠っていませんでした。
また『程さん流健康養生訓十箇条』と名付けた自身の経験則に則って行動。
普段は薬もサプリメントも服用していない事を明かすほどで、傘寿を過ぎてなお元気だったのは明らかでしょう。
実際に5月のゴールデンウィークには大学のOBバンドとともに前述のジャズフェスで健在な姿を見せており、健康不安はなかったものとされます。
まとめ
2019年6月23日午前、台湾・台北市内のホテルにて亡くなった姿で発見されています。
81歳没。
死因は公表されていないため不明です。
晩年は兵庫県宝塚市の自宅マンションで料理教室と1日1組限定のレストランを開いていました。
3月には開発期間9ヶ月を経て宝塚のご当地カレーを完成させると5月初頭にはジャズボーカリストとしてフェスに参加。
多方面で精力的な活動を見せていた矢先の訃報となってしまいました。