「北条幻庵」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「北条幻庵」の死に際とは?日本の人物

「北条幻庵」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

後北条氏の長老的存在で、戦国時代屈指の長生きだった武将、北条幻庵(長綱)の晩年や最期を紹介します。

「北条幻庵」とは?簡単に説明

北条幻庵は、後北条氏の祖で関東の戦国時代を開いたとされる北条早雲の末子です。

生年は1493(明応2)年とされていますが、1501(文亀元)年という説もあり、はっきりしていません。

幼い頃に僧となり、後に、箱根権現社の別当となりました。

ちなみに、「幻庵」は隠居後の名で、それまでは「長綱」と名乗っています。

「北条幻庵」の晩年

(父の)早雲、(兄の)氏綱、氏康、氏政、氏直の5代に渡って仕えた幻庵は僧侶や政治家として活躍しました。

戦や病で息子を次々と亡くした彼は、1569年(永禄12年)に氏康の7男・北条三郎(後の上杉景虎)を養子に迎えて家督を譲り隠居しました。

直後に、越相同盟が成立し、北条三郎が上杉謙信の養子となったため、1569年に戦死した次男・北条氏信(綱重)の子である氏隆(幻庵の孫に当たる)に家督を継がせました。

「北条幻庵」の死に様

北条氏隆に家督を譲った幻庵は久野(現在の神奈川県小田原市久野)にある屋敷で余生を送り、1589年(天正17年)11月に亡くなったと言われています。

幻庵が亡くなったしばらく後、1590年(天正18年)7月に北条は豊臣秀吉に攻められて滅びました。

生年1493(明応2)年、没年1589年(天正17年)とすると、幻庵の享年は97歳でかなりの長生きだったと言えます。

しかし、前述したとおり、彼の生年には諸説あり、没年についても諸説あるため、享年についてははっきりしていません。

これについては後述します。

「北条幻庵」の死に様の信憑性

北条幻庵が隠居後に亡くなったことはほぼ間違いありませんが、没年については諸説ありはっきりしていません。

生年1493(明応2)年、没年1589年(天正17年)というのは、後北条氏について書かれた軍記物語「北条五代記」によるものです。

しかし「北条五代記」に書かれた内容は、北条について書かれたその他の信憑性の高い史料と矛盾している点があります。

「北条五代記」以外の資料を元にした説では、生年が1501(文亀元)年、没年は1584(天正12)年または1585(天正13)年です。

いずれにしても、80年以上の長生きだったと言えます。

後北条氏随一の文化人・教養人・芸術家

幻庵は、文化・教養・芸術の面でも優れていました。

和歌や連歌、茶の湯、鞍作り、尺八作りなど、様々な分野で能力を発揮し、特に彼が作った尺八は朝廷が所望したほどの出来で、鞍は多くの武士が使うほどの人気だったと言われています。

輿入れする娘に送った大名の奥方としての心得を記した「宗哲覚書」も有名です。

当時の大名家奥向きの様子が記され、大名の奥方に必要な教養を知ることもできる貴重な史料です。

当時の文化や教養などを高いレベルで習得していた幻庵。

色々な面で、北条家に影響を与えていたことがうかがえます。

まとめ

北条幻庵の晩年や最期について紹介しました。

後北条氏は、家督争いや下剋上などで乱れることもなく、秀吉に敗北するときまで安定した地盤を確保していました。

当時の守護大名としては稀な例です。

これは、歴代当主の手腕もあるでしょうが、幻庵のような優秀な家臣が長きに渡って家を支え続けたおかげでもあるでしょう。

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