「橋田壽賀子」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「橋田壽賀子」の死に際とは?日本の人物

ホームドラマのTBSを定着させた立役者「橋田壽賀子」の散り際とは?

この記事では橋田壽賀子の晩年と散り際について解説していきます。

「橋田壽賀子」とは?簡単に説明

誰もが挙げる代表作といえばTBSで約30年に渡り放送された『渡る世間は鬼ばかり』だと言っていいでしょう。

番組に登場する役者陣は「橋田ファミリー」と呼ばれることも有名です。

ホームドラマのTBSと呼ばれ始めた70年代初頭以前から同局の人気ドラマの脚本を手掛けてその隆盛を築いたと中心人物。

手掛けた『東芝日曜劇場』は100本以上にも登ります。

時代劇でもヒット作を産み出しており『春日局』『おんな太閤記』は特に認知度が高い作品です。



「橋田壽賀子」の晩年

『渡る世間は鬼ばかり』はレギュラー番組としては終了したもの、特番としてはその後も10年ほど作品が継続して作られています。

その一方で2014年の『なるようになるさ。

』では視聴率が低迷。

かつてほどの人気を安定して取れなくなりつつありました。

自身もインタビューで引退を示唆しつつも、人気シリーズかつ携わる人物が多い『渡鬼』は辞めたくても辞めさせてもらえないであろうと想定。

「藤岡琢也」氏に続いて「宇津井健」氏が亡くなった事を踏まえての構想を語っていました。

また世間がホームドラマを好まない風潮や役者を知らないから脚本が書けないとも語り、自分の境遇は理解していたとも言えます。



「橋田壽賀子」の死に様

2021年4日9時13分に静岡県熱海市の自宅にて死去。

95歳没。

死因は急性リンパ腫によるものでした。

夫の「岩崎嘉一」氏を約30年前に亡くしており、子供はいないこともあり、橋田ファミリーの「泉ピン子」氏が最期を看取ったとされます。

「橋田壽賀子」の死に様の信憑性

既に90歳を過ぎた頃から、終活について取り組んでおり、自身の所有物の処理をはじめ、成人後見人をたてるなど準備は整えていることをインタビューで明かしています。

また17年には安楽死を希望していることで話題を呼び、高齢者の“死に方”についての問題提起を語ってもいました。

体調不良は21年2月下旬に東京都内の病院に入院で明らかになりました。

それ以前から月二回の投薬と血液検査をしていたとされますが、発病時期については不明。

本人の熱海に帰りたいとの希望で熱海の病院に転院。

最期は自宅での気持ちもあってか亡くなる前日に退院し、熱海の自宅へ戻ってきたばかりでした。

最期は安楽死でこそなかったもの人工呼吸器のカニューレを泉氏と橋田氏の友人が外すことを決め、苦しまずに眠るように亡くなったと言われます。

まとめ

「橋田壽賀子」氏は2021年4月4日に静岡県熱海市の自宅で亡くなっています。

死因はリンパ腫の悪化によるものでした。

17年に本人が安楽死、尊厳死などについて公言しており、延命措置は希望しないと語っていました。

橋田氏には子供がなく、夫も約30年前に亡くなっていたため、橋田ファミリーの泉ピン子氏と橋田氏の友人が人工呼吸器を外すことを決断。

これにより最期は自然死に近く眠るように亡くなったことが、泉氏のインタビューで明らかになりました。

死亡こそ公表されたもの葬儀や送る会などは本人の希望で実施されませんでした。

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