「マイケル・ハッチェンス」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「マイケル・ハッチェンス」の死に際とは?世界の人物

セクシーなロックスターの新星「マイケル・ハッチェンス」の死に際とは?

この記事ではマイケル・ハッチェンスの晩年と死に際について解説していきます。

「マイケル・ハッチェンス」とは?簡単に説明

60年代に一世風靡した『The Doors』の「ジム・モリソン」の痩せている時代を思わせる風貌を思い出す方も多いのではないでしょうか。

『INXS』のボーカルとして世界的な人気と名声を得ています。

前述したモリソン氏と並んで男性のセクシーさ、艶めかさを感じさせる歌声に魅了された方は世界中に多々いるはずです。



「マイケル・ハッチェンス」の晩年

順風満帆な人生を歩んでおり、世界的な人気バンドのヴォーカリストとしてこの世の春を謳歌していたのは間違いないでしょう。

「カイリー・ミノーグ」嬢との交際は良く知られた話です。

また「ポーラ・イェーツ」嬢との略奪婚が騒がれたのは1995年2月の事でした。

しかも9年間に渡り密会していた事が明らかになったため、大スキャンダルに発展しています。

ただ身から出た錆とでも言うべきでしょうか、好き勝手な行動でしっぺ返しとも言える暴行事件を92年にくらっています。

ジワジワとそれが後々までハッチェンス氏を苦しめる事になりました。



「マイケル・ハッチェンス」の死に様

1997年11月22日、オーストラリア・シドニーのリッツカールトンホテルで全裸で首を吊った姿で発見されています。

37歳没。

死因は首吊り自殺によるものだと発表されました。

「マイケル・ハッチェンス」の死に様の信憑性

ミノーグ嬢と交際解消後、スーパーモデルの「ヘレナ・クリステンセン」嬢とコペンハーゲン滞在中にタクシー運転手とトラブルに発展。

殴られて倒れ縁石に頭を強打。

道の真ん中で倒れ込んで意識喪失してしまいます。

耳からの出血が見られ、脳脊髄液を伴っての出血で生命の危機だとしてもおかしくありませんでした。

実際頭蓋骨を骨折。

辛うじて一命を取り留めたもの味覚と嗅覚を全て失ってしまいました。

この時ヘレナ嬢は一晩中付き添ったそうですが、目を覚ましたハッチェンス氏が暗く怒りやすい人格に変貌していた事に気づいたと明かします。

これらは2019年のドキュメンタリー『Mystify Michael Hutchence』で彼女自身の口から語られています。

ハッチェンス氏は味覚も嗅覚もわからないため、ワインを一本ラッパ飲みするほど。

頭蓋骨骨折と脳損傷による鎮痛剤の濫用が始まり、脳損傷による人格変化と鬱病の発生、自殺までのレールがこの時敷かれた事になりました。

また亡くなった当日は子供の親権問題で「ボブ・ゲルドフ」氏からの電話を受け脅えた様子だった事も当時既に明かされています。

さらには彼が全裸だった事から、ポーラ嬢は1人で自慰行為に及んでの事故死と主張。

しかし彼女は2年後にヘロインの過剰摂取で亡くなったため、発言の真意は不明だと言っていいでしょう。

まとめ

1997年11月22日、シドニーのリッツカールトンホテルの自室で逝去。

37歳没。

死因は首吊り自殺だとされています。

ドラッグとアルコールの影響からか全裸で首を吊っていました。

この所為が幻覚からか、ポーラ嬢の話す自慰行為癖なのかは本人のみぞ知るところでしょう。

元恋人のヘレナ氏は92年の脳損傷から鬱病を発症していた事を明らかにし、彼を死に追いやった原因だと主張しています。

また当日ポーラ嬢の元旦那と電話で口論。

その後酷く脅えていた様子だったそうですが、その事情を知るポーラ嬢も2年後にヘロイン中毒でこの世を去っているため真相は不明だと言っていいでしょう。

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