「キース・ムーン」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「キース・ムーン」の死に際とは?世界の人物

酒と薬に人生を狂わされた天才ドラマー「キース・ムーン」の死に際とは?

この記事ではキース・ムーンの晩年と死に際について解説していきます。

「キース・ムーン」とは?簡単に説明

英国の誇る三大ロックバンドである『The Who』のドラム担当。

もはやその手腕は天才や伝説を通り越して神格化されているほどです。

『レッド・ツェッペリン』の「ジョン・ボーナム」氏とは大親友であり、共に同時代を生きたスーパードラマーだと言っていいでしょう。

The Whoの代表曲のほとんどでドラムスを担当。

ドラムの技量は誰もが目を見張るほどの注目を集めていましたが、その代償として歌唱力に難があり、幾度となくネタになっているのはご愛嬌と言ったところでしょうか。



「キース・ムーン」の晩年

青年期から諸般の問題を起こしており、問題児のレッテルを貼られていたのは言うまでもありません。

しかし度重なるアクシデントに心を蝕まれていきました。

70年に自身の運転手を誤って轢き殺してしまった事件は目の前での出来事であり、精神的ダメージは大きかったとされます。

73年には離婚により最愛の娘と決別。

若い頃からドラッグやアルコールを常習的に嗜んでいたもの、この2つの事件がその依存性を加速させていく事になってしまいました。

1976年の段階でその依存性は苛烈なほどにまで進行。

余命宣告をされるほどでしたがアルコール、ドラッグのどちらからも抜け出る事はできませんでした。

健康状態は悪化の一途を辿ったため、キース氏はもとよりThe Whoもライブ活動ができない悪循環。

そして更に1年が経過した頃にはドラムを叩くどころか、スティックさえ握れない状態にまで肉体が悲鳴をあげていたのです。



「キース・ムーン」の死に様

1978年9月7日15時頃に自宅で亡くなっているのを夫人により発見されています。

32歳没。

死因は抗アルコール薬のヘミネブリンのオーバードーズによるものだと検視の結果が出ています。

前日は「ポール・マッカートニー」氏主催のパーティーに参加。

アルコールを絶つ事はこの日もできずに酩酊し、マッカートニー夫妻を閉口させていた映像が残されています。

「キース・ムーン」の死に様の信憑性

マッカートニー夫妻が主催のパーティーに参加。

大量の飲酒による乱痴気騒ぎでマッカートニー夫妻が閉口するほどだったそうです。

帰宅後夫人の朝食を食べた後に抗アルコール薬のヘミネブリンを32錠一気に飲んで昼寝に寝室へと向かいました。

同薬の過剰摂取は危険なのは言うまでもなく、アルコール摂取した場合には効果が増幅。

これによりキース氏はアセトアルデヒド中毒に陥る本末転倒な状況を迎えたと思われます。

恐らくは深夜のアルコール摂取を帳消しにする程度の考えで大量の薬を飲み込んだのでしょう。

しかし効果は絶大で32錠中6錠しか消化されていないにも関わらず命を落とす顛末を迎えてしまいました。

15時に夫人が様子を見に来た時には既に心肺停止状態。

緊急搬送されるも改めて死亡が確認されただけでした。

まとめ

1978年9月7日15時に自宅で遺体で発見されています。

32歳没。

アルコール依存症の解脱に伴う諸症状の緩和薬のオーバードーズだとされています。

抗アルコール薬を酒で流し込んだ説もあるほどで本末転倒な結末を迎えてしまったのは間違いありません。

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