1964東京オリンピックに咲いた花「ベラ・チャスラフスカ」の散り際とは?
この記事ではベラ・チャスラフスカの晩年と散り際について解説していきます。
「ベラ・チャスラフスカ」とは?簡単に説明
1964東京オリンピックにおける男子体操は体操・ニッポンの名前に相応しい活躍を見せました。
その一方で女子も団体3位と大健闘。
これにより体操競技自体に注目が集まると、その個人総合で圧倒的な力を見せつけたベラ氏に注目が集まったのは自然なことだと言えるでしょう。
技術だけではなく、優美な女性らしい表現力、そして彼女の美貌にも注目が集まり人気選手となりました。
一介の東欧圏のスポーツ選手が当時の人気番組『スター千一夜』に出演したことからも当時の彼女の人気は明らかだと言えるでしょう。
「ベラ・チャスラフスカ」の晩年
90年代を前に訪れた革命の波はチェコスロバキアにも及び、「ヴァーツラフ・ハヴェル大統領」のアドバイザーに就任。
68年6月にチェコ・スロバキア『二千語宣言』に署名して以来の不遇な日々を終えました。
それでも旧体制からの攻撃を受けるなど苦難はあったもの、チェコの革命・新体制の象徴として輝きを放ったと言っていいでしょう。
2010年には日本国の旭日中綬章を受章すると、2011年10月東日本大震災の被災地を訪問し、元気な姿を見せていました。
また2013年には2020オリンピックの東京開催が決定。
これにより1964東京オリンピックの回顧、プレイバックが各マスメディアで行われることとなり、1964東京の花形選手でもあったベラ氏は再度脚光を浴びる形となりました。
多くのメディアで紹介されるとともにインタビューなどで姿をよく見ることができるようになっています。
「ベラ・チャスラフスカ」の死に様
2016年8月30日に亡くなったことがチェコ通信によって世界に報道されています。
74歳没。
死因は膵臓癌によるものでした。
「ベラ・チャスラフスカ」の死に様の信憑性
2015年4月に膵臓癌が発見。
部位的にも癌の切除手術は大がかりなものとなり、10時間以上を越えたと報道されています。
術後は抗がん剤による化学療法を進めていました。
しかし膵臓癌は術後の予後が悪く再発率も高いのは既知の通り。
16年6月に肝臓に転移しているのが発見され、闘病生活を続けたもの力尽きてしまいました。
16年7月下旬に朝日新聞に掲載されたインタビューは前週に肝臓がんの告知を受け、医師から残りの人生を楽しんで欲しいと諭された衝撃の内容になっています。
2016リオデジャネイロオリンピックの招待も断ったことが明らかにされ、東京オリンピックは無理、行けないので空から手を振ると答えていました。
まとめ
16年8月30日、チェコの首都プラハの病院で永眠。
74歳でした。
死因は膵臓癌によるもの。
切除手術と化学療法で快方に向かっていると報道はあったもの同年6月に肝臓への転移が発覚。
医師に残りの人生を楽しんでほしいと余命宣告されています。
それから約2ヶ月後に亡くなっています。