この記事では、ベーブ・ルースの晩年や最期を分かりやすく説明します。
ベーブ・ルースとは?
ベーブ・ルースとは野球の神様として知られ、メジャーリーグ史において偉大な記録を数多く残しました。
投手としてボストン・レッドソックスでメジャーデューを果たし、ニューヨーク・ヤンキースで強打者としての名声を不動のものにします。
通算本塁打数は714本で、ハンク・アーロンによって塗り替えられるまで30年以上メジャーリーグの最多記録でした。
本塁打王はなんと12回も獲得しています。
ベーブ・ルースの晩年
野球選手を引退したベース・ルースは、ドジャースの一塁コーチを務めていたことがあります。
1年だけで辞任しました。
現役時代も終わりに近づいた頃、ルースはニューヨーク・ヤンキースの監督になるという希望を持っていたようです。
しかし、コーチや監督としてのオファーはほとんどありませんでした。
ベーブ・ルースほど偉大な野球選手は他にいませんでしたが、素行が悪かったこともあり監督には不向きと思われていたのです。
また、ベーブ・ルース財団を設立し、恵まれない子ども達のチャリティー活動なども行っていました。
1948年にはヤンキー・スタジアムの25周年記念のイベントに参加しています。
ルースがつけていた背番号3は、ヤンキースの永久欠番となりました。
ベーブ・ルースの死に様
ベーブ・ルースは、首に悪性腫瘍が見つかります。
放射線治療を受けましたが、体重は30kg以上も落ちてしまいました。
この悪性腫瘍は鼻咽頭がんだったと考えられています。
ヤンキー・スタジアムの25周年記念のイベントに参加した時にはすでに体力が大分衰えていて、バットを杖にして体を支えなければいけない程だったとされます。
入院すると病状はますます悪化し、限られた人しか面会することはできませんでした。
ベーブ・ルースは大柄だったのですが、亡くなる間際は骨と皮ばかりの状態になっていました。
そして、53歳で亡くなります。
ベーブ・ルースの死に様の信憑性
ルースの死因はがんで、鼻と口にできたがんが全身に広がったと考えられています。
ルースの遺体はヤンキー・スタジアムに2日間安置されましたが、お別れのために大勢のファンが訪れたといいます。
まとめ
ベーブ・ルースは晩年、鼻咽頭がんを発症します。
体重が大きく落ちるなど、徐々に悪化していきました。
がんが全身に広がり、53歳で亡くなっています。