80年代を代表するフライング・フィン「マッチ・ニッカネン」の死に際とは?
この記事ではマッチ・ニッカネンの晩年と死に際について解説していきます。
「マッチ・ニッカネン」とは?簡単に説明
日本ではF1ブームの際に“フライング・フィン”という言葉が広く知られる様になりました。
それ以前の80年代にその言葉が日本でもっとも使われたのがニッカネン氏でしょう。
日本人の五輪至上主義は80年代はより強いものがあり、冬季五輪で大活躍のニッカネン氏に脚光が当たったのは言うまでもありません。
若干20歳でサラエボ五輪90Mジャンプで金メダルを獲得、さらにルックスも良く華のある選手でした。
カルガリー五輪では3つの金メダルを獲得、世界選手権やスキー・ジャンプW杯でも多々優勝を飾り、フィンランドのみならず世界的知名度を誇る英雄だったと言えます。
「マッチ・ニッカネン」の晩年
若くして頂点を極めた選手にありがちな傍若無人な面を持っており、しばしば現役時代からトラブルを抱えていたのは間違いありません。
しかし引退後は女癖の悪さが露見してしまい、トラブル三昧の日々でした。
また酒癖の悪さもそれに輪をかける形になります。
フィンランドのみならずスキーが一般的なスポーツとして浸透しているヨーロッパではノルディックスキーのレジェンドが2度の服役沙汰を起こしたのは衝撃的に受け止められています。
その一方で現役時代からの人気は衰える事がなく、彼をモデルにした映画が作られヨーロッパでは興行的成功を収めていました。
現在の様にSNSが発達していなかった事で炎上騒動もなかった事もありますが、悪童過ぎて憎めない、愛される存在だったのは間違いないでしょう。
「マッチ・ニッカネン」の死に様
2019年2月4日フィンランド・ラッペーンランタにある自宅で就寝中に死去、55歳没。
真っ先にフィンランドのタブロイド紙『Seiska』が報じています。
死因は解っていません。
「マッチ・ニッカネン」の死に様の信憑性
死因は解っていないもの『Seiska』紙の報道以降徐々に各マスコミが国民的スターの死をこぞって報道。
その結果18年夏に発覚した糖尿病がその死に関わっていると報じられるようになりました。
18年夏にフィンランド第2の新聞社『Aamulehti』でのインタビューでの事でした。
糖尿病の深刻化を告げられ、とめどない恐怖を感じたがインスリンにより克服が可能だと判明。
病気を乗り越える算段がたち気力に満ちていると話しています。
実際にその後歌手としてのツアー活動を再開させて、アルコール依存からは抜け出した様に思えました。
亡くなる直近も金曜日にヘルシンキでライブを行い会場は満員御礼の大盛況だったそうです。
ライブ後自宅に戻り、日曜から月曜に日付の変わる頃、就寝中に亡くなりました。
現地では糖尿病による夜間低血糖で心疾患を発症。
それにより心不全に至ったとの見解が強いようです。
まとめ
2019年2月4日、フィンランド・ラッペンランタの自宅で就寝中に死去。
55歳没。
死因は公表されていません。
自国の国民的英雄だけにフィンランド国営放送yleをはじめとした各マスコミでその死が検証され、昨夏に患った重症の糖尿病によるものだとの見解が多く見られました。
就寝中の低血糖による心疾患もしくは脳疾患からの落命説が最有力。
またアルコール依存の時期が長かった事から、急性心筋梗塞を起こすリスクが高かった事も解説されていました。