シーツ・オブ・サウンド「ジョン・コルトレーン」の死に際とは?
この記事ではジョン・コルトレーンの晩年と死に際について解説していきます。
「ジョン・コルトレーン」とは?簡単に説明
20世紀の生んだジャズの巨匠で世界中に愛好家は多数存在しています。
下積み時代がそれなりの期間あったため、良く知られている様に檜舞台で活躍した年数はその人気・知名度と比例していません。
同い年である「マイルス・デイヴィス」とのグループは今となっては考えられないほどの豪華なものでした。
しかし当時はマイルス氏の影に隠れた存在だったのは間違いありません。
転機となったは薬物依存からの解脱だったと言えます。
「ジョン・コルトレーン」の晩年
晩年のアルバム『Ascension』はいまやジャズ界の巨人と言われるまでに存在感を増したコルトレーン氏が初めてフリー・ジャズを試行した意欲作となりました。
同時にそれは保守的なジャズ・プレイヤーとファンを驚かせるものになったのは間違いありません。
同時にサックスの奏法をヴィブラートにかえており、晩年に至ってなお進化を続ける姿を見せています。
66年夏には待望の初来日、東京・大阪・名古屋など9都市を周り日本のジャズファンを喜ばせています。
しかし彼の肉体は密かに病が進行していました。
それは10年前に絶ったはずのヘロインの残滓だったのかもしれません。
「ジョン・コルトレーン」の死に様
1967年7月17日4時、自ら運転して向かった病院で逝去。
40歳没。
死因は肝臓癌によるものでした。
10年前の57年にヘロインとアルコール依存だった事から、ヘロイン摂取の際に注射器の回し打ちによるC型肝炎ウイルスの線が濃厚だとされています。
「ジョン・コルトレーン」の死に様の信憑性
日本ツアー後から帰国後も精力的な活動を続けていたもの8月中旬から10月半ばまで仕事の量が抑えられていたのは明らかです。
日米にまたがり4週間で30回以上の公演を行っただけにむしろ休むのは至極当然だと思われていたでしょう。
しかし11月の欧州ツアーをキャンセルした事で体調の悪さが露見してしまいました。
以降は体調の悪さで度々公演をキャンセルする頻度が増えていきました。
またある時には胃の調子が悪い事、手術に対する恐怖心を共演者にも訴えていた事が後に明らかにされています。
肝臓の痛みを訴えたのは67年5月の亡くなる2ヶ月前のこと。
彼の医者嫌いは有名であったものこの時の痛みを苛烈なものであり、病院を受診。
そこで入院しての手術を提案されたものそれすら拒んでいます。
5月のボルティモアでのライブを最後に出演依頼は全て体調不良で断っていたとされる一方、倦怠感を抱えながらも音楽からは離れる事はなかったようです。
亡くなった当日もスタジオでレコーディングが予定されていました。
しかし体調不良からキャンセル。
それでも自身で車を運転する余力は残っていたとされます。
しかし自ら運転して帰宅する事は叶いませんでした。
まとめ
1967年7月17日4時、入院先の病院で死去。
40歳没。
死因は肝臓癌によるものでした。
『コルトレーンの生涯 モダンジャズ・伝説の巨人』など多数の伝記が現在も購入可能であり、当時のジャズ関係者の証言が克明に記されています。
肝臓癌のため最末期まで痛みが発現しにくかった事もありますが、医者嫌いが裏目に出たのは否めないところでしょう。