狂気の殺人ピエロ「ジョン・ゲイシー」の死に際とは?
この記事ではジョン・ゲイシーの晩年と死に際について解説していきます。
「ジョン・ゲイシー」とは?簡単に説明
米国映画でピエロがホラー映画の殺人鬼を務める作品は珍しくありません。
古くは1982年の『ポルターガイスト』で恐怖を覚えた方も多いでしょう。
それを現実社会で遂行した人物がジョン・ゲイシーです。
その狂気の沙汰は33名もの若者を屠っており、米国社会を震撼させた事件となりました。
地元では名士として地位を築き、休日の日には道化師「ポゴ」や「パッチ」となりボランティア活動に勤しむ傍ら、殺人を重ねていきました。
「ジョン・ゲイシー」の晩年
1978年12月に逮捕されて収監。
前回の収監では『ジェイシーズ』の刑務所支部活動や勉学に励み模範囚として扱われていたのは既知の通り。
今回は逮捕される以前から異常行動を繰り返していたもの、無罪と死刑の違法性をアピールし、延命を試みる狡猾な一面を見せています。
そして自分には4人の人格が存在しており「ジャック・ハンリー」が行ったものと主張を繰り返していました。
1980年2月から始まった公判でもかつて自身が築き上げた財産を駆使。
上訴を行う事で生への執着を見せていたのは明らかでしょう。
また刑務所内では模範的な行動を取るとピエロの絵画を描き続けていました。
しかしトドメとなったのは殺人未遂に終わった34番目の被害者への暴行でしょう。
殺人衝動を抑え切れなくなったのか、行為で異常性をアピールし死刑執行を避けようとしたのか真意はわかりません。
しかしこの顛末により再審請求は退けられる事になりました。
「ジョン・ゲイシー」の死に様
1994年5月10日、イリノイ州クレストヒル、ジョリエット刑務所で死刑執行により死亡。
52歳没。
死因は薬殺によるものでした。
「ジョン・ゲイシー」の死に様の信憑性
アメリカ史上最悪のシリアルキラーとして認知されており、一挙手一投足が克明に記録されているため、死に様の信憑性については極めて高いと言えるでしょう。
刑が執行された後に薬物注射の不手際で20分以上にわたり苦しんでいた事も報告されています。
本来ならば薬効にムラが生じるなどは御法度と言ってもよく薬の効果発現時間は“平均”が示す通り記録はされても公表はまずされません。
しかし類に例をみない凶悪犯罪者だけに刑の執行宣告から最期の晩餐までが公表されたと言っていいでしょう。
2003年に米国で公開された『Gacy』では伝記映画に近い形で狂気の沙汰の足取りを辿っています。
同作の公開後、米国では殺人ピエロの映画が急増しており、ある意味ピエロ=ホラーを定着させた人物となったと言っていいでしょう。
まとめ
1994年5月10日、イリノイ州クレストヒル、ジョリエット刑務所で刑が執行され死亡。
52歳没。
死因は薬物によるものでした。
その執行宣告から最後の晩餐、薬物注射後に通常の死刑囚の倍の時間苦しんで亡くなった事などが明らかにされています。
史上最悪の殺人鬼として名前が挙がる事も多く、2003年には半生が伝記映画にまでなりました。