この記事では、「須藤薫」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「須藤薫」とは?
須藤薫とは東京都出身のポップスシンガーで、1979年にシングル「やさしい都会」でデビューしました。
作詞したのは松任谷由実で、作曲は筒美京平が手掛けています。
松任谷由実のアルバム「SURF&SNOW」にもコーラスとして参加しています。
代表曲には大滝詠一が作詞・作曲した「あなただけI LOVE YOU」やテレビドラマ「かぼちゃ物語」の主題歌「涙のステップ」があります。
「須藤薫」の晩年
須藤薫は結婚や出産をきっけかに、芸能界を離れていました。
しかし、1998年に須藤薫&杉真理という音楽ユニットで音楽活動を再開します。
杉真理は歌手でもありますが、作曲家として須藤薫に様々な曲を提供してきました。
芸能界から離れていても交流は続いており、須藤薫は1997年に杉真理の20周年記念コンサートにゲスト出演します。
その際には「涙のステップ」を歌いました。
芸能界復帰を周囲から求められるようになり、最初は断っていましたが杉真理からの働きかけでライブステージに出るようになります。
新曲もリリースし、1999年にはミニアルバム「ロマンティック天国」も発表しました。
その後もライブを中心に音楽活動を行っています。
2012年にも「恋愛同盟」というアルバムをリリースしました。
「須藤薫」の死に様
須藤薫は、2013年3月3日に亡くなります。
死因は骨髄異形成症候群でした。
その前年の11月に熱が下がらなかったため病院で検査を受けたところ、骨髄異形成症候群であることが判明します。
そして、家族に見守られながら息を引き取りました。
夫は音楽プロデューサーで、夫との間に子どもにも恵まれています。
「須藤薫」の死に様の信憑性
須藤薫の死因である骨髄異形成症候群は、正常な血液細胞が作られなくなったり、減ったりする病気です。
白血病に似た病気で、急性骨髄性白血病に移行することもあります。
須藤薫は病気が判明してから都内の病院に入院して治療を行っていましたが、症状が悪化して亡くなってしまいます。
享年58でした。
葬儀は音楽葬という形で行われています。
まとめ
須藤薫は晩年に、杉真理と音楽ユニットを組んで音楽活動を行っていました。
アルバムをリリースしたりライブを行うなど精力的に活動していましたが、骨髄異形成症候群によって58歳で亡くなっています。