日本の心となる唄を作り続けた「遠藤実」の死に際とは?
この記事では遠藤実の晩年と散り際について解説していきます。
「遠藤実」とは?簡単に説明
戦後日本歌謡の父の一人だと言っていいでしょう。
ヒット曲を多々輩出しており、自分の過ごした時代により遠藤氏の代表作がそれぞれ存在するのはまちがありません。
世間一般的な代表曲としては日本だけでなく中国をはじめとしたアジア圏でも人気を呼んだ「千昌夫」氏の『北国の春』でしょう。
「渡哲也」氏の歌った『くちなしの花』御三家「森昌子」氏の『せんせい』『舟木一夫』氏の「高校三年生』等多数。
当時アイドル的存在だった「山本リンダ」氏の『こまっちゃうナ』は異色作かつ会社を窮地から救った作品として有名です。
「遠藤実」の晩年
1988年4月にハワイで心臓のバイパス手術を行っています。
この時代には既に第一線でからは離れていたと言っていいでしょう。
それでも「ウッチャンナンチャン」と「ダウンタウン」の出演した『夢で逢えたら』で『君は人のために死ねるか』が劇中で使われ、改めて存在がクローズアップされる事になりました。
晩年は昭和歌謡の資料編纂や監修に力を入れていました。
また音楽家・作詞作曲家の権利保護活動に尽力しています。
レコード・CDの再販制度反対を積極的に行っていました。
また日本音楽作家協会を設立。
自身が亡くなるまで会長として活動しています。
「遠藤実」の死に様
2008年12月6日10時54分、東京都内の入院先で死去。
76歳没。
死因は心筋梗塞によるものでした。
「遠藤実」の死に様の信憑性
10月中旬に出席したパーティーで倒れて、2度目の心臓バイパス手術を行っています。
しかし一時は心肺停止に陥り、心臓の状態は限界近くまできていたのは間違いありません。
予後の状態は悪く経口から栄養摂取ができない状態が1ヶ月を越えました。
食事が取れる様になった矢先の容態急変だったと言います。
亡くなった前日5日夜から劇的な体調悪化を迎え、翌日力尽きてしまいました。
当初は年末までには退院。
12月30日に行われるの日本レコード大賞にも出席したいとの意向でしたが、その願いは叶わずに終わっています。
まとめ
2008年12月6日、東京都内の入院先で76年に渡る生涯を終えています。
死因は心筋梗塞によるものでした。
20年以上前から心臓の調子は芳しくなくバイパス手術を88年に受けています。
10月17日に出席したパーティーで倒れ、2度目の心臓バイパス手術を施術。
心肺停止に陥るなど予後は芳しくありませんでした。
それでも12月1日に口から食事が取れるようになると日を追って回復傾向に向かい、本人は年末までに退院することを視野に入れていたほどです。
しかし好事魔多し、5日夜に心筋梗塞を起こすと回復できず翌日息を引き取る事になりました。