「青山純」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「青山純」の死に際とは?日本の人物

日本音楽界屈指の名ドラマー「青山純」の死に際とは?

この記事では青山純の晩年と死因について解説していきます。

「青山純」とは?簡単に説明

青山氏といえば名ドラマー、そしてスタジオミュージシャンとして多くの歌手のレコーディングに携わっています。

一般的には「山下達郎」氏と縁深い事でご存知の方も多い事でしょう。

携わった楽曲はジャンル問わずに幅広いものがあり、CDやレコードのクレジットを確認して見ると新たな発見があるかもしれません。

例えば80年代に一世風靡した「おニャン子クラブ」の『セーラー服を脱がさないで』にも参加していた事は意外に知られていない事実です。



「青山純」の晩年

2010年東京都世田谷区に『青山純ドラムスクール』を開校すると翌年にはドラム教則DVD『青山純 一つ打ちの真髄』をリリースしています。

自身のドラマーとしての経験値を後進に還元していく姿勢を見せていました。

その一方で『マジカルシティ』時代からの戦友とも言えるベースの「伊藤広規」氏とのユニット「A*I」でのセッションを音源にしたアルバムを発売。

自身の音楽の追求と後進の育成に尽力していたと言っていいでしょう。



「青山純」の死に様

2013年12月3日早朝、東京都内の自宅で逝去。

56歳没。

死因は肺血栓塞症だと公表されています。

「青山純」の死に様の信憑性

12月3日の朝9時に倒れた状態で発見されており、既に亡くなった状態だった事から、死亡推定時刻は早朝になっています。

没後に直近10年来は体調が悪く、長時間のライブに参加が困難だった事実が明かされました。

輪をかけてその近年は体調を崩しがちだったとされます。

自身が運営する『青山純ドラムスクール』も実際に13年10月度は全休したばかりでした。

亡くなる1週間前に12月度再開の告知がされていた事から、青山氏の死が突然の事だったのは間違いないでしょう。

肺血栓塞症に繋がった病気については公表されておらず不明です。

ただし10年来の体調不良と長時間のライブに身体が耐える事が難しいとの情報がありましたから、不整脈などの心疾患の既往症やペースメーカーを使用していた可能性が高いと思われます。

まとめ

2013年12月3日の早朝に自宅で永眠しています。

56歳没。

死因は当初心不全と発表されていましたが、病理検査の結果肺血栓塞症だと判明しています。

没後に山下氏が追悼番組で青山氏は体調不良が10年来続いており、長時間のライブは身体的に不可能だと明かしています。

しかしその体調不良の原因については公表されませんでした。

長期間の活動休止がなく継続的に活動を続けていた事を考えると不整脈など心疾患の持病を抱えていた可能性が高い様に思われます。

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