「藤本義一」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「藤本義一」の死に際とは?日本の人物

小説家や放送作家として知られる藤本義一(ふじもとぎいち)は、79歳で亡くなっています。

今回は、人気深夜番組の「11PM」の総合司会を務めたこともある彼の死因に迫ります。

「藤本義一」とは?簡単に説明

昭和8年に大阪府堺市で生まれた藤本義一は、25年間に渡って放送を続けていた人気深夜番組「11PM」の司会を務めていた人物です。

大阪出身の藤本は、大阪を舞台にした作品やエッセイなどを数多く残しており、日本放送作家協会の関西支部長や心斎橋大学の総長などにも就任するほど関西に精通していた人物です。

大阪府立大学に在学中から、ラジオドラマやテレビドラマの脚本を手掛けるようになっていた藤本は、大学卒業後、人気テレビドラマの「貸間あり」の脚本を共作し、駅前シリーズや悪名シリーズ、犬シリーズなどのヒット作を生み出していきます。

その後、テレビ番組「11PM」の司会者を25年に渡って務めたことで不動の人気を獲得した藤本は、脚本家から小説家へ転身して書き上げた「鬼の詩」で第71回の直木賞を受賞しています。

その後、舞台脚本などを手掛けながら芸能活動を続けていましたが、平成24年に79歳で死亡しています。



「藤本義一」の死に様

藤本義一が亡くなった直接的な死因は中皮腫(ちゅうひしゅ)でした。

平成23年に皮膚の腫瘍が中皮腫と診断された藤本は、担当医師より余命1年と宣告されてしまいます。

翌年、肺炎を併発したことで症状が悪化したため、病院に入院しますが、その後脳梗塞も発症してしまいます。

一旦は症状が緩和し退院しますが、退院後まもなく自宅のトイレで倒れてしまい、再入院します。

入院後、誤嚥性肺炎も併発してしまった藤本は、口から飲み物や食べ物を摂取することができない状態に陥っていたため、点滴で栄養補給を受けていましたが、少しずつ身体は衰弱していき、そのまま体調が回復することはなく、79歳で死去しています。



「藤本義一」の死に様の信憑性

藤本義一の死後、彼の実の娘である中田有子氏は、父親の死はアスベスト(石綿)が原因で発症した中皮腫によるものであると訴え、生前藤本が通い詰めていた兵庫県宝塚市の宝塚映画製作所や、救援のため何度も訪れていた阪神大震災の被災地をくまなく調査し始めます。

アスベストを吸い込むことで発症するがんのひとつとして知られる中皮腫が原因で亡くなったとされる藤本が幼少時代を過ごした堺市一帯には数多くの工場がありましたが、これらの工場で扱っていたのは石綿ではなく、農業機械だったそうです。

藤本の死後、彼の担当医は、阪神大震災当時に数多くの建物で普通に常用されていた「吹き付けアスベスト」を恒常的に吸引してしまったことが原因で亡くなった可能性が高いと証言しています。

また、阪神大震災の被災地では、地震から13年が経過した2008年以降に、復旧作業を担当していた作業員4名が中皮腫を発症して労災認定を受けているという記録があります。

「藤本義一」の小ネタ等

浪速高校に在学中だった藤本義一はボクシング部に所属していましたが、同校の後輩には後に「浪速のロッキー」と称され多くのファンを熱狂させることになる赤井英和がいました。

まとめ

25年間に渡って人気深夜番組「11PM」の司会を務めていた藤本義一は、79歳で永眠しています。

シルバーヘアーとダンディな語り口で人気のあった彼の功績は、現在のテレビ界においてもけっして小さいものではなかったと言えるでしょう。

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