神様、仏様、稲尾様、剛腕稲尾!この記事では「稲尾和久」の晩年と最期について解説します。
「稲尾和久」とは?簡単に説明
現役当時のピッチングは知らなくても、野球ファンならば『神様、仏様、稲尾様』のフレーズは一度は聞いたことがあるはずです。
また50代以上の人には川崎球場時代の『ロッテ・オリオンズ』の監督として覚えている方は多いと思われます。
1950年代後半から1960年代前半に球界を席捲した大エースです。
読売巨人軍のオールドファンにとっては天敵と言ってよく、前述のフレーズが生まれた1958年の日本シリーズでは三連勝の後四連敗、26回連続無失点かつサヨナラ本塁打を喫するなどまさにその活躍は神がかりでした。
「稲尾和久」の晩年
晩年はかつて西鉄の本拠地のあった福岡市を拠点に活動。
RKB毎日放送では野球評論だけではなく、ローカルワイドショーにも出演しています。
2001年にはプロ野球マスターズリーグが発足。
ここで『福岡ドンタクズ』の監督に就任しました。
ここでのサプライズは西鉄ライオンズでかつて稲尾二世と呼ばれた「池永正明」を永久追放処分から復権への役割を果たしたことでしょう。
2007年には故郷別府に自身の記念館が開館しますが、好事魔多し。
その直後から体調不良に見舞われることになります。
「稲尾和久」の死に様
2007年10月14日のクライマックスシリーズ第1ステージ終了後に首から肩にかけての痛みを訴えます。
この時に一度福岡で検査を受けましたが原因は不明だったと言います。
その後、手はもとより足にまで痺れが出たため、沢村賞の選考会議を欠席し、同年10月30日に検査の為に入院。
1週間程度の検査入院の予定であり、深刻な病気だとは思われませんでした。
原因がわからないため、念のために全身の検査を行ったところ悪性腫瘍が発見されました。
放射線治療を行いましたが、12日未明に容態が急変。
11月13日1時21分に永眠しています。
70歳没。
死因は悪性腫瘍によるものでした。
「稲尾和久」の死に様の信憑性
死後「旭日小綬章」を授与しているほど野球界の発展に貢献したレジェンドではありますが、その死に関しては公表されていない部分が多いと言えます。
特に死因に関しては悪性腫瘍と端的にしか報道されていません。
脳や頸部に出来た腫瘍は手足にしびれを伴うことも多く、放射線治療が有効です。
このため上半身に悪性腫瘍が発症した可能性が高いと言えるでしょう。
亡くなった当日の夕方、RKB毎日放送で追悼番組が放送されましたが、具体的な病気や闘病生活は触れられていません。
まとめ
2007年11月13日1時21分に「稲尾和久」は80歳で永眠しています。
死因は悪性腫瘍としか発表されず、発症した箇所などはわかっていません。
同年10月中旬に頸部から肩にかけての痛みを訴え、検査を行いましたが原因はわからずじまいでした。
このため10月末日に改めて1週間の予定で検査入院。
念のため全身の検査を行ったところ悪性腫瘍の存在が発覚。
放射線治療を行いましたが、11月12日の未明に容態が急変し、命を落としています。