「白川由美」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「白川由美」の死に際とは?日本の人物

日本のグレース・ケリーその最期とは。

この記事では白川由美の晩年と最期について解説します。

「白川由美」とは?簡単に説明

1966年に東宝からデビューすると清楚な家庭的印象の役がはまり、人気を得ます。

直近の作品では『家政婦のミタ』の晴海明美がハマリ役だと言っていいでしょう。

夫は「二谷英明」娘は元タレントの「二谷友里恵」と芸能一家。

娘の元夫である「郷ひろみ」が離婚後の1998年に出版した『ダディ』では二谷家の内幕が描かれたことで紛糾することとなります。

夫とはCMで見せたままのおしどり夫婦として有名。

ただし当時は所属会社が違うスター同士の結婚に加え、略奪婚であり波紋を呼びました。



「白川由美」の晩年

2003年10月に脳梗塞で倒れた夫を支えるべく、女優業に力を入れていくことになりました。

おしどり夫婦のイメージに反して夫を老人ホームに入れたことで冷酷だと賛否両論になりました。

「二谷英明」氏も2012年に亡くなったことで仕事量をセーブしていくことになります。

夫が亡くなり精神的な落ち込みがあったのに加え、月100万以上にもなる高級老人ホームの費用負担をする必要も無くなったからだと言われています。



「白川由美」の死に様

12年に夫が亡くなった後も東京目黒区の自宅で生活をしていました。

しかし16年の初めに長年住んでいた自宅を離れ、東京港区の娘宅へと転居しています。

しかし突然の不慮の事態に陥ることとなりました。

16年6月14日の夕方に風呂場で倒れると、発見された時には既に心肺停止の状態でした。

緊急搬送されましたが、そのまま亡くなっています。

79才のことでした。

突然死でしたが、翌日監察医によって心不全だと死因が確定されています。

「白川由美」の死に様の信憑性

夫が亡くなって4年後に引っ越ししたため、心不全に繋がるような体調不良があったと考えられがちですが、特段前兆と見られるものはなかったようで、通院もしていなかったとされています。

16年の5月には頌栄女子学院高校の同窓会へと参加。

久々と旧友を交友を温めており、この日は当時の同級生と亡くなる二時間前に電話で会話。

軽井沢へ行こうと話していたことが、後輩の「音無美紀子」が葬儀に参列時に同級生から聞いた話として伝えられました。

まとめ

白川由美は2016年6月14日の夕方に港区の自宅の浴室で倒れているところを家人に発見されましたが、既に事切れていました。

心肺停止のまま緊急搬送されましたが回復することはありませんでした。

死因は心不全によるもので79歳で永眠しています。

死の半年前から長年住み慣れた目黒の自宅を離れ、港区の娘宅に引っ越していますが、特段体調不良はなかったようです。

死の直前、二時間前には高校の同級生と軽井沢へ出かける予定を電話で話しており、本人にとってもまさかの死だったと言えるでしょう。

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