名女優とともに歩んだ50年「塩見哲」の死に際とは?
この記事では塩見哲の晩年と死に際について解説していきます。
「塩見哲」とは?簡単に説明
劇団俳優座養成所時代の同期である「市原悦子」氏の夫であり、人生の苦難を乗り越えて寄り添った姿は芸能界のおしどり夫婦の1例として知られています。
その困難とは悦子氏が2度の流産を経験した事によるものでした。
精神的ダメージを2人で支え合い困難な状況から抜け出しています。
また2012年に悦子氏がS状結腸腫瘍を患った時にも献身的な看護をした様子が報道されていました。
「塩見哲」の晩年
2012年の悦子氏のS字結腸癌の切除手術、それに伴う入院、看護を献身的に行いました。
悦子氏が復帰後の2013年には『やまんば 女優市原悦子43人と語る』の出版に際するにも演出家視点から見た意見を陳述。
公私に渡って彼女を支えたと言っていいでしょう。
「塩見哲」の死に様
2014年4月21日、東京都内の入院先で永眠。
80歳没。
死因は肺癌と報道されている媒体が多いですが、実際には持病の間質性肺炎の憎悪が致命的なものになりました。
「塩見哲」の死に様の信憑性
没後に悦子氏が自費出版した『月に憑かれたかたつむり 塩見哲へのレクイエム』の中で闘病中の様子を垣間見る事ができるでしょう。
但し同書は自費出版で出版数が少ないため、国会図書館での閲覧が最も容易になっています。
姪であり後に悦子氏の看病もしている「久保久美」氏による『私の「おっちゃん」』や悦子氏の「五三年のふたりの旅」で入院中のちょっとお茶目なエピソードも知る事ができるでしょう。
闘病の経緯については肺癌が発覚後2014年3月に入院。
術後の経過は良かったもの、持病の間質性肺炎を発症してしまいました。
4月18日には肺炎は手の施し様のないところまで進行。
3日後の4月21日月曜日には命が尽きる事を宣告されてしまったそうです。
また間質性肺炎は持病だと言われていますが、晩年まで完全に禁煙する事はできなかった様でした。
結果的には医師の見解は的中し、21日には陸で溺れるかの如く苦しんだ様子だったとされます。
まとめ
2014年4月21日に東京都内の入院先で永眠。
80歳没。
死因は肺癌の手術後に持病である間質性肺炎の憎悪が起きた事によるものでした。
同年4月18日には余命3日の宣告がされており、実際に21日に亡くなっています。
詳細は公表されておらず、悦子氏が自費出版した書籍の中で僅かに闘病生活の様子を垣間見る事ができる程度です。