この記事では、志村正彦の晩年や最期について紹介します。
志村正彦とは?
志村正彦とは日本のミュージシャンの一人で、ロックバンド「フジファブリック」のボーカルとして知られています。
フジファブリックでは、作詞と作曲のほとんどを手掛けていました。
高校時代にコピーバンドを組んでいたメンバーと共に2000年にフジファブリックを結成しました。
2004年にファーストシングル「桜の季節」を発表し、メジャーデビューしています。
7枚目のシングル「蒼い鳥」で、オリコンチャートトップテン入りを果たしました。
志村正彦の晩年
志村正彦の晩年は、フジファブリックのボーカルとして積極的に音楽活動を行っていました。
2007年には初めて両国国技館でアリーナ公演を行います。
2008年にはサードアルバム「TEENAGER」を発売しました。
2009年には11枚目のシングル「Sugar!!」を発表します。
この曲はJsportsのワールド・ベースボール・クラシックのテーマソングに採用されています。
その後、Jsportsスタジアムのテーマソングにもなりました。
その年の5月には4枚目のアルバム「CHRONICLE」を発売していますが、これが志村正彦の遺作となりました。
志村正彦の死に様
志村正彦は、2009年12月24日に亡くなります。
享年29です。
それまで全く体調不良などの兆候もなく、突然の死でした。
前日から連絡が取れなくなっていたためマネージャーが自宅を訪れます。
そして、パソコンの前で亡くなっている志村正彦を発見したのです。
志村正彦の死に様の信憑性
志村正彦の死因は、はっきりとは分かっていません。
訃報が所属事務所の公式サイトから公表された時にも、死因不詳と発表されました。
突然の死だったため薬物の影響ではないかとか、自殺したのではないかという噂が流れましたが信憑性は低いです。
過労や栄養不足などで起こる不整脈ではないかと考えられていますが、今となっては不明のままです。
フジファブリックはその年、ロックフェスティバルCOUNTDOWN JAPANに出演する予定でしたが、志村正彦の死を受けて急遽キャンセルとなりました。
ロックフェスでは、奥田民生やトライセラトップス、気志團などがフジファブリックの曲を演奏しました。
まとめ
志村正彦はフジファブリックのボーカルとして精力的に活動していましたが、29歳で突然死しました。