イカの丸飲みで死亡したのは嘘?「車谷長吉」の死に際とは?
この記事では車谷長吉の晩年と死に際について解説していきます。
「車谷長吉」とは?簡単に説明
挫折感に苛まれ、世捨て人の生活を経てついには直木賞作家にまでのし上がった事で有名な話だと言っていいでしょう。
自称“反時代的毒虫”を名乗り、破天荒なエピソードは多数、話題には事欠かせないほどです。
とはいえ早い時期から才能の片鱗は見せており、36歳で執筆した『萬蔵の場合』は芥川賞候補にも挙げられていました。
43歳で『赤目四十八瀧心中未遂』によりついには直木賞を受賞。
以降も精力的な執筆活動を続けますが、晩年は私小説を離れて『四国八十八ヶ所感情巡礼』や『世界一周恐怖航海記』など全く違ったジャンルへと執筆の場を動かしました。
「車谷長吉」の晩年
2003年に「恩賀とみ子」氏が車谷氏の俳句を盗作疑惑で泡沫作家と糾弾。
ここから立て続けに騒動が勃発する事になりました。
次いで『新潮』2004年1月号に掲載された『刑務所の裏』は「齋藤慎爾」氏から事実と異なる事を書かれたと名誉毀損で訴えられて裁判沙汰になっています。
しかし次号では恩賀氏に逆襲。
お詫び文と銘打ちながらも恩賀氏を返す刀で罵倒した事でこちらも裁判沙汰に発展してしまいます。
翌年には私小説からの撤退を宣言するなど話題には事欠かさず、ある意味“反時代的毒虫”の本領発揮と言った晩年であったのかもしれません。
「車谷長吉」の死に様
2015年5月17日8時47分、緊急搬送先の都内の病院で死亡が確認されました。
69歳没。
死因は誤嚥による窒息だと公表されています。
「車谷長吉」の死に様の信憑性
夫人である「高橋順子」氏が語りたくないが、語った事が全て真実だと明かしています。
車谷氏は夫人を伴って散歩に出かけました。
しかし疲れたのか先に帰宅する事を選択。
晩酌代としては至って細やかな300円を夫人からもらって帰路についたそうです。
帰り道でビールを購入して帰宅。
晩酌のつまみを探していたところ美味そうなイカを発見します。
それは夫人が翌日のおかずのイカ大根にする予定の解凍中の冷凍イカでした。
車谷氏はそれを丸呑みにするも喉に詰まらせて窒息死してしまったようです。
夫人が遅れて散歩から帰宅した時には居間で倒れた状態、緊急搬送されましたが間もなく死亡宣告を受けてしまいました。
当日二人は会話の中で書きたいものがあるかぎり自分は死なないと夫人に語っていた矢先の急逝でした。
300円分のビールで誤嚥するほど酔うのか、そもそも生のイカの丸飲みをするのかなど些か腑に落ちない点は残るのは致し方ないと言えるでしょう。
しかし夫人の口から脚色のない真実だと明らかにされているため、信憑性は高いものになります。
まとめ
2015年5月17日8時47分、緊急搬送先の都内の病院で死去。
69歳没。
死因は誤嚥による窒息死だとされます。
死因の窒息死はそっちのけ、早朝からの飲酒、イカを丸飲みにして喉に詰まらせた事がネット上では否応が無しに話題として挙がってしまいました。