滑落死の理由が世界的に話題を呼んだ「谷口けい」の死に際とは?
この記事では谷口けいの晩年と死に際について解説していきます。
「谷口けい」とは?簡単に説明
女性アルパインクライマーとして知られ、09年フランスのピオレドール賞を女性で初受賞した実績を持ちます。
もちろん登山家としての実績もそれに違わぬものを残しており、受賞契機となったインド・カメット山における未踏ルート南東壁初登攀はもちろんのこと、その前年06年にはヒマラヤ山脈のマナスル、07年には同山脈の世界最高峰エベレスト登頂を成し遂げました。
11年には生涯の目標を達成。
それは自身の原点となった本の著者である「植村直己」氏が消えたマッキンリーへの登頂でした。
念願成就以降も彼女の冒険は続きます。
「谷口けい」の晩年
植村氏の冒険行から登山家を目指す様になった彼女ですが、自身も植村氏がマッキンリーで消息を絶った年齢に差し掛かろうとしていました。
登山家として残された時間が少なくなるなかで、新たな挑戦の機会を窺っていたのは間違いないところでしょう。
2015年12月は冬季登山の演習を兼ねて、幾度となく同行パートナーを務めた「平出和也」氏ら男性4人とともに北海道上川町の大雪山系黒岳へ足を運んでいます。
「谷口けい」の死に様
2015年12月22日9時35分、黒岳沢の雪中で遺体で発見されています。
43歳没。
死因は滑落による脳挫傷によるものでした。
「谷口けい」の死に様の信憑性
転落の経緯は21日14時50分頃に山頂で用を足すために、命綱のロープを外して単独で岩陰に向かいました。
そこで滑落の憂き目に遭遇しています。
手袋は外されて現場に置かれたままだったと言います。
雪庇を踏み抜いたのか単純に足を取られて滑落したのかは不明。
遺体で発見され、死因は脳挫傷と公表されていますが、正論ではありますが信憑性は薄いように思えます。
消息を絶った場所から、約700メートル滑落しているため、恐らく遺体の損傷は見るに耐えられない状態であったのは間違いないでしょう。
遺体の発見状況に関してはかなりオブラートがかけられていると思われ、五体が揃っていれば幸運だったと思われます。
まとめ
2015年12月22日9時35分に滑落場所から700メートル降った場所の雪中で遺体で発見されています。
43歳没。
死因は滑落時に岩に頭を打ち付けた事による脳挫傷でした。
女性1人、男性4人のパーティーで登攀に成功。
山頂で用を足すために命綱のロープを外して単独で岩陰に向かい、そこで滑落しています。
雪庇を踏み抜いたのか、単純に足を滑らせたのかは解っていません。
転落場所には手袋が残されていました。
当然ながら滑落の距離が長いため遺体の損傷は酷かった事は容易に想像ができ、かなりオブラートに包まれた発表となったのは間違いないと思われます。
自身の原点である「植村直己」氏と同じ43歳でこの世を去る事になってしまいました。