キューピッドが矢を射るお菓子の城「竹田和平」の死に際とは?
この記事では竹田和平の晩年と散り際について解説していきます。
「竹田和平」とは?簡単に説明
中京圏ではテレビCMで「キューピッドが矢を射るお菓子の城」のフレーズで曲の3番が流れているのを聞いた方は多いはずです。
愛知県犬山市にある『お菓子の城』はバブル期のカップルのデートスポットとして知られており、当時は珍しいウエディングドレスやパーティードレスをレンタル記念撮影できた事でも有名でした。
竹田和平氏はこのお菓子の城のオーナーであり、『タマゴボーロ』で有名な竹田製菓の創業者です。
また中京圏の有力企業、上場企業としても知られています。
「竹田和平」の晩年
実業家、投資家としての側面も持ちながら、自身のホームページで『和平のweekly物語 百尊の栄光』を連載、毎週、もしくは隔週更新ながらもPDFファイル形式できちんと歴史の英雄の群像について配信を行っています。
また個人投資家を冒険金融家として捉え、リスクにチャレンジできる賢さを持った私人の登場を期待していました。
但しホームページの更新は2004年の1月5日を最期に止まっています。
06年からは自身のブログ『花咲爺 竹田和平』に活動の場を移して、ブログを毎日更新していたのは記憶に新しいところでしょう。
「竹田和平」の死に様
2016年7月21日2時56分、愛知県名古屋市天白区の自宅で逝去。
83歳没。
死因は老衰によるものだったと報道されています。
「竹田和平」の死に様の信憑性
2016年6月11日にはブログ10年目で読者に対する感謝の気持ちを述べて、自身の生き甲斐になった事を告げています。
そして14日は投資家らしく「ダウ16000円」割れに関する寄稿をして以降投稿は途絶える事になりました。
晩年は足腰が弱っており、鍼灸師になった孫娘に指圧治療を受けて調子が良くなった事がたびたび語られています。
足腰は弱ってはいたもの4月中旬のパーティーにはスーツ姿で出席するなど老いても精力的な活動をしていたのは間違いないでしょう。
ただ亡くなる半年前には動画を公開していますが、体調不良により上手く言葉が喋れないとも明かしていました。
まとめ
2016年7月21日2時56分、愛知県名古屋市天白区の自宅で死去。
83歳没。
死因は老衰によるものだと報じられています。
16年4月、5月と連日更新されていたブログが6月14日で更新停止して久しかったことで、和平氏になにかあったのではないかと心配された方も多かったと思われます。
ブログの内容で上手く喋れないなど体調不良を明かし、足が弱っているなど弱気な言葉を呟いており、体調が懸念されていました。
闘病生活はほとんど報じられていませんので、死因の老衰に関しては信憑性が高いと言えるでしょう。