船越英一郎の父と呼ばれるようになった「船越英二」の死に際とは?
この記事では船越英二の晩年と死に際について解説していきます。
「船越英二」とは?簡単に説明
2世タレントは数多く存在しますが、親と同等もしくは子が父の知名度を乗り越えた方は少ないと言えるでしょう。
その一人が「船越英二」氏です。
息子は言わずとしれた“二時間ドラマの帝王”「船越英一郎」氏になります。
英二氏自身は大映の1946年の大映第2期ニューフェイス。
日本の復興とともに俳優人生を歩み、日本映画産業の黄金期から衰退期までを知る数少ない俳優でした。
大映倒産後はテレビに活躍の場を移すと『時間ですよ』で主人公の「森光子」氏と夫婦を演じ、劇中の舞台である松の湯の主人「松野祥造」が当たり役となっています。
「船越英二」の晩年
戦後まもないから活躍のしており21世紀を迎えた頃には喜寿を過ぎており、2001年の「北大路欣也」氏主演の『旗本退屈男』をもって俳優業から引退しています。
引退後は神奈川県湯河原の自宅で悠々自適の隠遁生活。
「旅荘船越」も娘の「平野洋子」氏が90年に経営者となり、湯河原温泉の顔として活躍していました。
しかし気がかりな事が1つ。
それは息子の英一郎氏と「松居一代」氏の交際についてでした。
当初から結婚に反対していたもの引退年には押し切る形で2人は結婚を成就させています。
船越家の血統を蔑ろにした怒りは収まる事がなく、英一郎氏と疎遠になってしまうのでした。
「船越英二」の死に様
2007年3月17日22時57分、入院先の静岡県の病院で逝去。
84歳没。
死因は脳梗塞によるものでした。
「船越英二」の死に様の信憑性
神奈川県湯河原の自宅で倒れると静岡県の病院へ緊急搬送され入院。
辛うじて意識はあるもの予断を許さない状況だったとされます。
小康状態を保っていたもの翌日の夜に容態が急変。
丸一日頑張ったもの力尽きる事になりました。
結婚時の確執と仕事もあり、英一郎氏は最期を看取る事は叶いませんでした。
没後の会見は英一郎氏が応対していましたが、「長谷川裕見子」夫人と長女の「平野洋子」氏が最期の様子を語っていました。
死去時点では裕見子夫人の癌、そして洋子氏の鬱病は再発していなかった事もあり、懸念は英一郎氏の事だけだったと思われます。
まとめ
07年3月17日22時57分に緊急搬送された静岡県の病院で永眠しています。
84歳没。
死因は脳梗塞によるものでした。
15日に神奈川県湯河原の自宅で倒れて緊急搬送されています。
意識は僅かにあるため回復を期待されるも16日夜に容態が急変、まる1日後に無くなってしました。
晩年は自宅と娘が女将をし、裕見子夫人が手伝いをしている「旅荘船越」で悠々自適の生活を過ごしていました。
懸念材料の1つだった洋子氏の鬱病もこの時点では完治しており、懸念はなかったと言えるでしょう。
しかし英一郎氏への怒りは収まらず、亡くなるまで会わずに逝去。
松居氏に至っては会ってもいないほどでした。