この記事では、「川口厚」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「川口厚」とは?簡単に説明
川口厚とは作家の川口松太郎と女優の三益愛子の三男で、芸能界入りしていた兄の浩や恒、姉の晶子と共に俳優四兄弟の1人として知られています。
1971年に劇団新派に入団し、様々な舞台に出演しました。
その後、テレビドラマ「親ばか子ばか」で母の三益愛子と共演します。
テレビドラマ「シークレット部隊」や「アイフル大作戦」「赤い疑惑」等の作品にも出演しています。
「川口厚」の晩年
川口厚は晩年、俳優としての活動は行っていませんでした。
結婚を機に俳優を引退し、芸能事務所テアトル・ド・ポッシュでマネージャーを務めています。
俳優の三浦友和のマネージャーをしていたようです。
しかし、1978年に麻薬取締法違反と大麻取締違反で逮捕されてしまいます。
川口家で逮捕されたのは厚だけではありませんでした。
兄の恒も自宅にコカインや大麻、LSDといった薬物を隠し持っていたとして逮捕されています。
姉の晶子も薬物所持で書類送致されました。
晶子は不起訴処分となりますが、厚と恒は執行猶予付きの有罪判決を受けます。
川口家のスキャンダルは週刊誌等でもセンセーショナルに報じられ、世間で話題となりました。
それを機に明治座に引き取られ、明治座に勤務することになります。
父親である川口松太郎は、明治座の制作部長をしていたこともあります。
その縁で、明治座で働くことになったのでしょう。
晩年は明治座のプロデューサーとして活動していました。
明治座では、タレントの堺正章が主演した部隊「おしゃべり伝六一番手柄」等を手掛けています。
「川口厚」の死に様
川口厚が亡くなったのは、2008年9月19日のことでした。
脳内出血により、埼玉県内にある病院に入院していたといいます。
享年57でした。
「川口厚」の死に様の信憑性
川口厚は、亡くなる2年半前にくも膜下出血で倒れています。
その後は療養生活を送っていました。
くも膜下出血は脳を覆う三層の膜の間に出血が生じる病気です。
脳内出血もくも膜下出血と同様に、脳の血管が破れて起こる血管障害です。
まとめ
川口厚は薬物所持で逮捕され芸能界を引退後、明治座でプロデューサーとして活動していました。
堺正章の舞台を手掛けたこと等もあります。
そして、脳内出血により埼玉県内の病院で亡くなってしまいます。
享年57でした。