「山田辰夫」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「山田辰夫」の死に際とは?日本の人物

この記事では、「山田辰夫」の晩年や最期を分かりやすく説明します。

「山田辰夫」とは?

山田辰夫とは名バイプレイヤーとして活躍した俳優で、19歳の時に日本大学の仲間と劇団「GAYA」を立ち上げました。

俳優としての活動をスタートさせ、「東京少年鑑別所」という舞台でデビューします。

石井岳龍監督が日本大学在学中に撮影した映画「狂い咲きサンダーロード」に主演し、話題を集めました。

その後も「すかんぴんウォーク」「壬生義士伝」等様々な映画に出演しています。



「山田辰夫」の晩年

山田辰夫は晩年も、俳優として映画やテレビドラマなど数多くの作品に出演しました。

晩年の代表作を挙げると、映画「おくりびと」があります。

滝田洋二郎監督の映画で、納棺師の姿を描いています。

山田辰夫は滝田洋二郎監督の高校時代の同級生で、監督自ら出演をオファーしました。

「おくりびと」はアカデミー賞外国語映画賞を受賞しており、海外でも高く評価された作品です。

日本アカデミー賞優秀作品賞も受賞しました。

晩年も数々の映画に出演していて、Vシネマの出演作もあります。

また、「偽りの花園」「新・京都迷宮案内4」「法の庭」等テレビドラマにも出演しています。



「山田辰夫」の死に様

山田辰夫は、2009年7月26日に亡くなりました。

享年53です。

死因は胃がんでした。

遺作となったのは映画「沈まぬ太陽で」、山崎豊子の小説を映画化した作品です。

2009年の4月に撮影を行い、公開されたのは山田が亡くなった後でした。

「山田辰夫」の死に様の信憑性

山田辰夫が胃がんと判明したのは、2005年のことです。

胃を摘出する手術を受け、回復しています。

仕事にも復帰し好調でしたが、2008年に腎臓にがんが転移していることが明らかとなりました。

入院と退院を繰り返しており、俳優としての活動も行っていましたが、がんが肺にも転移してしまいます。

築地にある病院に入院していましたが、ホスピスのある西多摩の病院に転院しました。

がんの状況が悪く、回復の見込みがなかったためです。

本人の希望もあって、ホスピスのある病院に転院することになりました。

治療を続けるよりも、最後の時間を大切にしたいと考えたのかもしれません。

そして、容体が悪化し亡くなっています。

まとめ

山田辰夫は晩年も俳優として様々な映画やテレビドラマに出演しましたが、胃がんを患い53歳で亡くなりました。

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