この記事では、「神山繁」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「神山繁」とは?
神山繁とは数多くの映画やテレビドラマに出演し、舞台などでも活躍した俳優です。
1952年に文学座に入団し、俳優の道を歩み始めます。
劇団雲を経て、演劇集団円の結成にも携わりました。
「ペリクリーズ」や「から騒ぎ」といった作品に出演しています。
また、演出を務めたこともあったようです。
代表作には、映画「ブラック・レイン」やテレビドラマ「ザ・ガードマン」等があります。
「神山繁」の晩年
神山繁は晩年、京都で暮らしていました。
若い頃に女優の文野明子と結婚していますが、1987年に死別しています。
舞台の公演中に脳溢血で倒れ、帰らぬ人となったのです。
その後、再婚して京都に移住しました。
また、文人としても活躍しており、骨董や美術に詳しい人でもありました。
「呑んべえのうつわ」や「物とあそぶ」「異国のひとびと」などの文芸誌を出版しています。
俳優としても活動を行っており、1989年にはアメリカのアクション映画「ブラック・レイン」に出演しています。
俳優の松田優作の遺作としても知られる映画で、大阪の街を舞台にした作品です。
神山繁は通訳をしていた経歴もあり、英語が堪能だったため抜擢されました。
それから2012年には北野武の映画「アウトレイジビヨンド」にも出演しています。
2014年には、NHKの連続テレビ小説「マッサン」にも和尚役で出演しました。
「神山繁」の死に様
神山繁は、2017年1月3日に亡くなりました。
享年87です。
死因は肺炎で、2016年の1月から療養生活を送っていたといいます。
妻に見守られながら息を引き取りました。
「神山繁」の死に様の信憑性
神山繁の死因は肺炎ですが、肺炎の中でも間質性肺炎と呼ばれるものです。
間質性肺炎は間質と呼ばれる部分に炎症が起きることで、うまく酸素を取り込めなくなってしまいます。
間質は、肺胞や気道を除いた肺の組織全般を指します。
間質性肺炎は細菌性肺炎とは異なり、治りにくいといわれているのです。
本人が葬式や戒名は不要と常々言っていたため、葬儀は行われませんでした。
骨壺も自ら用意していたといいます。
まとめ
神山繁は80歳を超えても俳優として活動していましたが、肺炎を患い療養生活を送ります。
そして、京都にある自宅で妻に見守られながら息を引き取りました。
享年87です。