「山城新伍」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「山城新伍」の死に際とは?日本の人物

山城新伍の死因とは?

「山城新伍」とは?簡単に説明

昭和13年に京都府京都市で生まれた山城新伍こと渡辺安治は、テレビタレントや司会者として知られる人物で、元妻である女優の花園ひろみとは2度離婚しています。

昭和34年に芸能界デビューを果たした山城は、昭和51年から開始された日清食品「どん兵衛」のCMに出演し、俳優である川谷拓三との名コンビでこのロングセラーCMに14年間に渡って出演し続けました。

その後は映画監督などを経て、花園ひろみと1度目の離婚をしてから6年後に再び花園と2回目の婚姻を結びますが、8年後には2回目の離婚を迎えてしまいます。

平成13年ごろから一人暮らしを始めた山城でしたが、平成17年には糖尿病が悪化したことで入院することになり、この時期から事実上の引退状態となります。

そして平成21年8月12日、誤嚥性肺炎により70歳で永眠しています。



「山城新伍」の死に様

平成17年に糖尿病が悪化したことにより入院することになった山城新伍は、この時期から表舞台に姿を現すことはなくなります。

それから2年後、体調の回復と共に現場への復帰を模索していましたが、それが叶うことはなく、平成20年には老人ホームに入居しています。

復帰を諦めた理由は、糖尿病が悪化したことによって車椅子での生活を強いられてしまったことと、それに加えて鬱病と認知症を併発してしまっていたからでした。

老人ホームに入居していた山城は、元妻とは2度も離婚しており、一人娘である元女優の南夕花は、両親の2度目の離婚後に戸籍を分籍して疎遠になっていました。

山城の最期は老人ホームで誰にも看取られることはなく、誤嚥性肺炎により70歳で死亡しています。



「山城新伍」の死に様の信憑性

元妻や実の娘とも疎遠となりひとり身だった山城新伍の喪主を務めたのは、山城の実弟でした。

テレビ番組で共演をしたこともある実の娘である女優の南夕花からは戸籍を除籍され、2度の離婚を経て最悪な状態になっていた夫婦仲だけではなく、親子仲についても同じような状況だったため山城の入居する老人ホームには誰ひとり訪問することはなかったそうです。

自身の不倫が原因で同じ相手と1度ならず2度まで離婚をすることになった山城の代償は少なくなく、晩年は一人で寂しく老人ホームの中で過ごしていたと言います。

そして最期は老人ホームで誤嚥性による肺炎を発症してそのまま死亡してしまいました。

「山城新伍」の小ネタ等

平成4年1月に暴力団組長の娘の結婚式で仲人を務めた山城新伍は、自身の行動に否があると迫ってきていた芸能レポーターの取材に対して「父親が暴力団だと娘は幸せになってはいけないのか?」などと反論して世間を騒がせています。

まとめ

昭和時代のテレビの申し子と言ってもよい山城新伍は、当時はまだ珍しかった関西人特有の明るいノリと歯に衣着せぬ毒舌で成り上がった人気者でした。

表の華やかな顔の裏には、けっして明るくない表情も見え隠れしていた昭和のスターでした。

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