「盛田幸妃」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「盛田幸妃」の死に際とは?日本の人物

ハマのセットアッパー「盛田幸妃」の死に際とは?

この記事では盛田幸妃の晩年と死に際について解説していきます。

「盛田幸妃」とは?簡単に説明

ハマのセットアッパーもしくはダブルストッパーとして大魔神こと「佐々木主浩」と並ぶ活躍を見せた事で有名。

巨人戦の放送がまだまだ盛んな90年代に活躍した選手だけにその知名度は高いものがあり、野球ファンならばその知名度は良く知られていました。

それだけに近鉄バファローズへトレード後に脳腫瘍が発覚した際には大きな話題を呼んでいます。

折しも数年前には『広島東洋カープ』の「津田恒実」氏が脳腫瘍で亡くなっており、回復の一報には野球ファンのみならずスポーツファンが安堵した事でしょう。



「盛田幸妃」の晩年

2010年4月より公式ブログ『奇跡のリリーバー盛田幸妃 OFFICIAL BLOG』を開設し、自身の手で今の状況を積極的に伝えています。

当初こそ焼き鳥をつまみつつ酒を飲み野球談義の様な記事も多く見られていました。

しかし月日が進んでいく事に過酷な闘病生活と骨を含む各部位への転移という厳しい現実を突きつけられて、折れそうになる気持ちをブログで吐露してしました。

それが2013年の年末であり、14年に入るとブログの更新間隔も大きく開く様になってしまいました。

3月の始めに入院、それから一時退院したもの足の付け根を骨折。

なにもしていない状態で骨を骨折し、体重は80キロにまで減った事を明かしています。

しかしこの4月26日夜を最後にブログの更新はされる事は無くなってしまうのでした。



「盛田幸妃」の死に様

2015年10月16日午前、神奈川県横浜市の自宅にて永眠。

45歳没。

死因は転移性悪性腺腫、悪性脳腫瘍の全身転移によるものでした。

「盛田幸妃」の死に様の信憑性

ドラフト会議における悲喜こもごも、引退勧告を受けた選手のその後等野球人生ドキュメンタリーでは定評のある事で知られるTBS制作の『プロ野球の妻たち』2016年6月22日放送分で盛田夫妻の闘病の様子が夫人の倫子氏から語られています。

引退から3年後の2005年夏には脳腫瘍が再発。

以降10年に渡ってジワジワと体中に病が転移しており、骨まで浸潤していたとされます。

また自身のブログでも悲痛な闘病生活について綴られていたもの、余命1年の宣告がされたと思われる14年4月を最後に更新が止まっていました。

まとめ

2015年10月16日午前、神奈川県横浜市の自宅で死去。

45歳没。

死因は脳腫瘍の転移性悪性腺腫によるものだとされています。

2005年に再発した脳腫瘍は全身に転移し、骨まで浸潤。

2014年には何もしていない状態で足の付け根を骨折するなど既にボロボロの状態だったと言えるでしょう。

余命1年の宣告を受けて最期は自宅でその時を迎えています。

晩年の闘病記は野球ドキュメンタリーと本人の公式ブログから伺い知る事が可能です。

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