この記事では、「ジャッキー佐藤」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「ジャッキー佐藤」とは?
「ジャッキー佐藤」とは横浜市出身の女子プロレスラーで、マキ上田と共にビューティー・ペアとして活躍しました。
高校を中退後に全日本女子プロレスに入門し、1975年にデビューを果たします。
デビュー戦は、後にペアを結成するマキ上田でした。
ビューティー・ペアは結成したその日に、WWWA世界タッグ王座に輝きます。
女子プロレス界のアイドルのような存在で、レコードは80万枚を記録するなど絶大な人気を誇りました。
「ジャッキー佐藤」の晩年
「ジャッキー佐藤」は1981年にジャガー横田に敗れ、WWWA世界シングル王座から陥落します。
それにより引退し、5月には引退式も行われました。
その後、ジャパン女子プロレスという新しい団体の設立に関わり、現役に復帰します。
1987年に神取忍と壮絶なセメントマッチを繰り広げますが、敗れたために現役を引退することとなりました。
引退した後は体操教室を主催する会社ジャムナを立ち上げます。
スポーツプログラマーやヘルスケア・トレーナーの資格も取得しました。
中高年の女性をターゲットにしたジャムナ体操という自ら考案した体操の指導を行ったり、講演活動を行ったりしています。
ビューティー・ペアとしてタッグを組んでいたマキ上田とは現役時代はあまり仲が良くありませんでしたが、「ジャッキー佐藤」の方から旅行に誘いそれがきっかけで二人の間には特別な絆が生まれています。
「ジャッキー佐藤」の死に様
「ジャッキー佐藤」は、1999年に亡くなります。
死因は胃がんで、41歳という若さでした。
煙草が好きで、棺の中に煙草が収められた程だったといいます。
喫煙は胃がんのリスクを高めることで知られているので、長年の喫煙習慣が影響したことも考えられます。
「ジャッキー佐藤」の死に様の信憑性
「ジャッキー佐藤」は結婚しておらず、生涯独身でした。
闘病生活を支えたのは姉や弟といった家族とプライベートで仲が良かった後輩の女子プロレスラーのナンシー久美だったといいます。
ナンシー久美は卵巣がんを患ったことがあり、その時彼女を励ましたのが「ジャッキー佐藤」でした。
ナンシー久美は「ジャッキー佐藤」の家族と共に看護もし、最期を看取っています。
まとめ
「ジャッキー佐藤」は晩年、胃がんを患い闘病生活を送っていました。
後輩のナンシー久美に看取られながら41歳という若さで亡くなっています。