世界のホームラン王を支えた「王恭子」の死に際とは?
この記事では王恭子の晩年と死に際について解説していきます。
「王恭子」とは?簡単に説明
旧姓小八重恭子、いわずと知れた世界のホームラン王と呼ばれる「王貞治」氏の最初の夫人です。
65年のシーズンオフ、66年1月6日に婚約を発表しました。
65年は巨人栄光のV9時代の到来を告げる初年度。
MVP、本塁打・打点の2冠王に輝くスーパースターの婚約に300人以上の報道陣が集まっての会見になりました。
2人の馴れ初めについては早実のスーパースターとして巨人に入団した1年目の多摩川グラウンドでの邂逅からスタートしています。
結婚後は内助の功でスーパースターを支える人生を歩む事になりました。
「王恭子」の晩年
現役時代こそ辛い想いをしても、夫の活躍があった事でストレスは発散されていた事でしょう。
しかし王氏は巨人監督として結果は残せず、半ば放逐される形で監督生活に別れを告げました。
心機一転で望んだ博多の地。
しかしそこでも結果は残せず有名な生卵事件、監督に対する罵倒、誹謗中傷により辛い生活をしていたのは間違いないでしょう。
しかし99年『ダイエー・ホークス』が博多移転後初の優勝を飾ります。
これにより王監督はもとより耐え続けてきた恭子夫人の溜飲も下がった事でしょう。
しかし既に彼女の身体は病魔に蝕まれていました。
「王恭子」の死に様
2001年12月11日21時21分、東京都港区の虎の門病院にて永眠。
57歳没。
死因は胃癌によるものでした。
「王恭子」の死に様の信憑性
病気が発覚したのは98年のこと。
直ちに摘出手術が行われたもの01年に再発してしまいます。
シーズンオフのため、王氏も帰京していたもの多忙。
亡くなった当日も講演会の仕事の後に恭子夫人を見舞っています。
帰路についた後に容態が悪化、帰らぬ人となってしまいました。
王氏、そして次女でタレントの「王理恵」氏ともに彼女の闘病生活についてはほとんど語っていません。
両者ともに在りし日元気な頃のエピソードしか語っておらず、晩年の事には触れていません。
また王氏は78歳で再婚、恭子夫人や娘と過ごした豪邸も既に売却。
今後も恭子夫人の晩年について語られる事はないと思われます。
まとめ
2001年12月11日21時21分、東京都港区の虎の門病院で死去。
57歳没。
死因は胃癌によるものでした。
3年前に胃癌が発覚。
摘出手術を行ったもの01年に再発し帰らぬ人になっています。
王氏は単身赴任で福岡に向かったもの監督として結果が出ず、96年就任2年目には有名なバス襲撃及び生卵事件が発生。
巨人の監督時代以上のファンからのバッシング、誹謗中傷を浴びています。
ストレスと胃癌との因果関係は証明できませんが、王氏の現役時代とは全く違う種類のものが生じていたのは間違いないでしょう。
晩年の恭子夫人のストレスは計り知れないものがあり、胃癌発生のリスクを高めた可能性は多いにあるでしょう。