この記事では、「山田かまち」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「山田かまち」とは?
山田かまちとは群馬県高崎市出身の画家及び詩人で、亡くなった後に出版された「悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集」によって知られるようになりました。
幼い頃から並外れた独創性があり、絵を描いたり詩や物語を創作していたといいます。
高校生の頃に不慮の死を遂げますが、水彩画や素描、漫画、詩、物語など数々の作品を残しています。
1990年代には山田かまちブームが巻き起こり、その作品は教科書にも掲載されました。
「山田かまち」の晩年
山田かまちは中学校時代、ビートルズなどロックに傾倒しました。
ビートルズがカバーした「Please Mr. Postman」を聴いて描いた絵が「プリーズ・ミスター・ポストマン」です。
普通の画用紙に絵の具で描かれた絵画で、鮮やかな色彩でポストマンの姿が描かれています。
ロックバンドを組んで練習したこともあり、その中には後にロックミュージシャンとして活躍する氷室京介もいたといいます。
高校受験に失敗し浪人生活を送りますが、その間に数多くの作品を残しました。
「山田かまち」の死に様
山田かまちが亡くなったのは、1977年の8月のことでした。
自宅でエレキギターを練習中に感電する事故にあい、急死してしまったのです。
まだ17歳という若さでした。
感電事故の原因となったエレキギターは、17歳の誕生日にもらったプレゼントだったということです。
「山田かまち」の死に様の信憑性
山田かまちの死はエレキギターによる感電という不幸な事故でしたが、自殺したのではないかという噂もあります。
エレキギターでの感電という事故が非常に珍しいこともその理由として挙げられます。
それから氷室京介のロックバンドの代表曲「MORAL」は山田かまちの死を題材にしたといわれており、その一説に「あいつが自殺したって」というフレーズがあることから自殺説が囁かれているのです。
普通にエレキギターを弾いただけでは感電することはありませんが、電源コードを改造しようとしていたという家族の話もあります。
それを考えると、自殺説よりも事故死という説の方が信憑性は高いといえます。
まとめ
山田かまちは絵画や詩など様々なな作品を創作していましたが、エレキギターを練習中に感電事故によって亡くなりました。
まだ17歳という若さで亡くなったのです。