さよならタックル!最後の活躍「岡田京子」の死に際とは?
この記事では岡田京子の晩年と死に際について解説していきます。
「岡田京子」とは?簡単に説明
東映で岡田姓の名前が示す通りに当時の東映社長の「岡田茂」氏の肝いりで名前がつけられた事で知られており、半田京子が本名になります。
しかし本名、芸名以上に有名なのが「岬ユリ子」という役名だと言っていいでしょう。
仮面ライダーシリーズ第5作かつ当時は仮面ライダー最終作であった『仮面ライダーストロンガー』にレギュラー出演。
「荒木しげる」氏が演じた城茂ことストロンガーとパートナーを組み、電波人間タックルとして変身後もタックルの中に入ってアクションした事で有名です。
「岡田京子」の晩年
ストロンガーである荒木氏は後年の「村上弘明」氏主演のスカイライダー『仮面ライダー(新)』に出演していますが、岡田嬢の出演はありませんでした。
ストロンガーの放送予定が1クール縮小された事に加えて、第30話でデルザー軍団のドクターケイトと相打ちになり殉職してしまった事も大きいと言えるでしょう。
また岡田嬢も芸能界を早々に引退し、ストロンガーでメイクを担当した「小山英夫」氏と結婚していた事が明らかになりました。
「岡田京子」の死に様
1986年8月12日に逝去。
27歳没。
死因は喘息の発作に伴う内臓疾患によるものでした。
「岡田京子」の死に様の信憑性
夫である小山氏は古くから仮面ライダーシリーズに携わっていた事で有名です。
その口から彼女の死が語られたのは2004年の仮面ライダーシリーズのムック本の中ででした。
1986年の夏に喘息の発作を起こします。
しかし元々持病であったため特別な事ではなく、日常的なものであったようです。
しかし通常の気管支拡張剤などでは発作は収まらずに憎悪が続き、あっという間に亡くなってしまったとの事でした。
ライダー2号・一文字隼人こと「佐々木剛」氏も小山氏と長年の交遊関係があり、彼女とも面識があったため、彼女の早逝を悼んでいました。
90年代半ばに発売された宝島社の『怪獣VOW』シリーズでも亡くなったとの情報はあったもの信憑性に欠けた部分があったのが事実だと言えるでしょう。
2000年代序盤にはストロンガーのDVDが発売されています。
しかしウルトラシリーズのデジタルリマスター版DVDとは違い特典でかつての出演者の対談やインタビューも無かったため、オフィシャルとして彼女の死去が語られたのは2004年のムック本まで待たなくてはなりませんでした。
まとめ
1986年8月12日に逝去。
27歳没。
死因は喘息の発作の憎悪による内臓疾患との事でした。
喘息が持病であり発作も日常的にあった様ですが、その時は憎悪が急速に進んで還らぬ人になってしまった様です。
1976年に女優業を引退、79年に歴代昭和ライダーのメイクを努めた小山氏と結婚。
調布で居酒屋を営んでいた矢先の急逝だったようです。