「井伊直虎」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「井伊直虎」の死に際とは?日本の人物

断絶の危機に瀕したお家を守るために奮闘した女性「井伊直虎」は、波乱に満ちた生涯の最期をどのように迎えたのでしょうか?

この記事では、「井伊直虎」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。

「井伊直虎(いい なおとら)」とは?簡単に解説

「井伊直虎」とは、戦国時代から安土桃山時代にかけて存在した、遠江国(現在の静岡県西部)井伊谷の領主であり、井伊家の当主です。

通説では、女性の身でありながら井伊家当主となった「次郎法師(じろうほうし)」と同一の人物とみなされおり、下記もその説に則って記述していきます。

「井伊直虎」は、いとこである「亀之丞(かめのじょう)」(のちの井伊直親)と婚姻を結んでいました。

「井伊直虎」の晩年と最期

晩年は「井伊家」を支配下に置いていた「今川氏」より謀反の疑いをかけられてしまい、「亀之丞」は信州(現在の長野県)へ身を隠します。

一方、「井伊直虎」「龍潭寺(りょうたんじ)」で出家し、「次郎法師(じろうほうし)」と名乗りました。

やがて、父の「井伊直盛(いい なおもり)」は戦死し、井伊家当主を継いだ「井伊直親(いい なおちか)」も疑いをかけられ殺害されてしまいます。

さらに「井伊家」を支えていた重臣たちも相次いで戦死し、跡継ぎとして残されたのは、まだ幼い「虎松」(井伊直親と奥山ひよとの子であり、後の井伊直政)だけでした。

滅亡の危機に瀕する「井伊家」と幼い「虎松」を守るため、「次郎法師」「井伊直虎」へと名を改め、井伊家当主並びに「井伊谷城」の女城主となりました。

その後、「井伊直虎」「今川氏」からの圧力により居城「井伊谷城」と領地を奪われますが、「徳川家康」へ臣従することで領地の奪還と「井伊家」の復権に成功します。

最期

最期は、かつて出家した「龍潭寺」「松岳院(しょうがくいん)」で過ごしたとする説や、「自耕庵(じこうあん)」で過ごしたとする説があります。

その後、天正10年(1582年)8月26日、40数年に渡るその生涯を終えました。

「井伊直虎」の死に様の信憑性

死因については不明で、定かではありません。

「井伊直虎」と「次郎法師」にまつわる新説

通説となっていた「井伊直虎」「次郎法師」同一人物説ですが、近年になって「井伊家」にまつわる新史料が発見されました。

その内容から、「井伊直虎も次郎法師も実在していたが、井伊直虎は男で、次郎法師という女性とは別人」という新説が浮上しています。

まとめ

「井伊直虎」とは、井伊家当主であり、「井伊谷城」の女城主を務めた人物で、女性の身でありながら「井伊家」の存続を守り抜きました。

その後、天正10年(1582年)8月26日、40数年に渡るその生涯を終えます。

「次郎法師」という女性と同一人物とみなされていましたが、近年になって「井伊直虎は男で次郎法師とは別人」とする新説が挙げられています。

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