最期まで教壇に立つのを願った「渡辺和子」の死に際とは?
この記事では渡辺和子の晩年と死に際について解説していきます。
「渡辺和子」とは?簡単に説明
1956年にナミュール・ノートルダム修道女会に入会してから、わずか7年で岡山県にある『ノートルダム清心女子大学』の学長に異例の抜擢をされた事は有名な話です。
まさしく異例の抜擢であるがゆえに地元からは反発を招く事になりました。
ノートルダム清心女子大学や日本カトリック学校連合会の要職に就く活躍を見せていますが、彼女に対する批判の声も少なからずあった事は間違いないでしょう。
父親の様な惨めな死に方はしたくない、差別発言などで同じカトリック教徒の中でも物議を醸す事になりました。
「渡辺和子」の晩年
2012年4月に出版された『置かれた場所で咲きなさい』は20万部を売上、書籍の帯による告知では5年連続ベストセラーを記録しています。
14年1月からはKBS京都制作のカトリック系布教番組『心のともしび』に出演し、布教活動にも尽力しています。
その一方で批判記事も度々噴出。
16年2月には学園の付属小学校で担任のいじめ疑惑問題で学校法人、校長、担任を相手取り2420万円の損害賠償事件が起きています。
この時理事長だった渡辺氏に週刊誌が見解を求めるも黙殺した事は批判の対象となりました。
「渡辺和子」の死に様
12月30日13時15分、岡山県岡山市北区伊福町のノートルダム清心女学院大学の敷地内にある修道院で逝去しています。
89歳没。
かねてから罹患していた膵臓癌の憎悪によるものでした。
「渡辺和子」の死に様の信憑性
没後に岡山大鹿田キャンパスで行われたケア岡山県民公開講座で最期の様子が語られています。
膵臓癌が発覚した時期は不明ながらも、手術も抗がん剤治療も行わなかったそうです。
闘病生活を送ったのは同講座を企画した岡山大学病院でした。
また同講座の趣旨が緩和ケアであるため、退院後は在宅医療で末期癌の終末医療が主だったと想像ができるでしょう。
現代では膵臓癌の予後の悪さは周知の事実。
ある程度死の覚悟もあったのでしょう。
何をしても逝く時は逝くので最期は現場で亡くなりたいと話していたそうです。
実際在宅医療をしながら教壇に立っていた事が明かされました。
まとめ
12月30日13時15分、岡山県岡山市北区伊福町のノートルダム清心女学院修道院にて逝去。
89歳没。
死因は膵臓癌である事が公表されています。
葬儀と告別式が1月4日時から同市北区天神町の岡山カトリック教会で開かれる事が発表されました。
当初は死因は公表されていませんでした。
膵臓癌が発覚して以降、何をしても逝く時は逝くので現場で果てたいと最期まで教壇に立ち続けた事が親族の方から語られています。