全日本プロレスなどで活躍したプロレスラー冬木弘道(ふゆきこうどう)は、42歳という若さで亡くなっています。
今回は、理不尽(りふじん)大王という異名で親しまれていた彼の死因に迫ります。
「冬木弘道」とは?簡単に説明
昭和35年に東京都江東区で生まれた冬木弘道(こうどう)こと、冬木弘道(ひろみち)は、今は亡き国際プロレスでデビューしたプロレスラーで、全日本プロレスに移籍後は、リングネームをサムソン冬木に改名して人気を集めていました。
その後、様々なプロレス団体を渡り歩いた冬木は、現役レスラーとして活躍する傍ら、リング上でのプロデュース業においても頭角を現し、自ら「理不尽大王」を自称して、プロレス界を席巻していました。
しかしながら、平成14年に突如プロレスのリングから引退することを発表した冬木は、自らが大腸がんに侵されていることも同時に告白し、そのまま闘病生活に入っていきますが、翌年42歳という若さで永眠しています。
「冬木弘道」の死に様
平成期におけるプロレス界の中心人物のひとりといっても過言ではなかった冬木弘道は、大腸がんに侵されたために、41歳という若さでプロレスラーを引退することを決意します。
同じプロレス界の先輩であり、友人でもあったプロレスリングノアの社長である三沢光晴の好意で、引退試合を開催してもらった冬木は、22年間に及ぶ現役生活に別れを告げ、引退試合のあとほどなくして入院し、緊急手術を受けることになります。
手術は成功したものの、がんは大腸から肝臓などに転移しており、平成15年3月19日、がん性腹膜炎により入院先の病院で死去しています。
享年42歳でした。
「冬木弘道」の死に様の信憑性
冬木弘道は大腸がんに侵されたことで、プロレスから引退することを決意しますが、引退後に自身がプロモートするプロレス団体WEWが開催するビッグイベントで一夜限りの復活を希望していました。
けっしてプロレスができるような容態ではなかったものの、自身がまとめ上げた最初で最後のビッグイベントだったため、這いつくばってでもリングに上がることを決意していた冬木でしたが、平成15年5月5日に開催を予定していたイベントまでは生き残ることができませんでした。
イベント当日は冬木と対戦を予定していた相手のプロレスラー橋本真也が、冬木の遺骨の入った箱を胸に抱いたまま、リング上の電流爆破装置が施されている柵にそのまま飛び込んで自爆し、冬木の念願を叶えたシーンとして、数多くのファンの涙を誘いました。
「冬木弘道」の小ネタ等
プロレスラー冬木弘道の最後の対戦相手になった、同じくプロレスラーの橋本真也は、冬木の死後、彼の妻であった冬木薫と婚約しています。
しかしながら、その橋本も冬木の死からわずか2年後に、脳幹出血により40歳で死亡しています。
まとめ
プロレス界における様々なリング上で、理不尽大王として人気を博した冬木弘道は、42歳で他界しています。
昭和のプロレスラーを思わせる豪快な彼のキャラクターは、現在でも数多くのファンから愛され続けています。