まさに昭和の政治家、留まる事をしらないミッチー節は印象的「渡辺美智雄」の死に際とは?
この記事では渡辺美智雄の晩年と死に際について解説していきます。
「渡辺美智雄」とは?簡単に説明
昭和40年代からそのキャラクター性で知られていたのは言うまでもありません。
後年「小林よしのり」氏の『ゴーマニズム宣言』に登場していますが「赤塚不二夫」氏の漫画に寄せたキャラクターは既に登場させているほどでした。
栃木弁で特徴的な意見、そして時折放言を連発するその様は“ミッチー節”として知られています。
「中曽根康弘」元首相から派閥を禅譲され『大福三角中』に比類する『安竹宮渡』と呼ばれるほどの実力者であったもの、リクルート事件と「安倍晋太郎」氏同様に大病を患い、首相就任は叶わず終いでした。
「渡辺美智雄」の晩年
ポスト「竹下登」氏の座を虎視眈々と狙い、安倍氏とのマッチレースが予想されました。
しかしリクルート事件により、多くの自民党議員同様に党内規により貴重な時間を失ったのは否めません。
しかも反渡辺を公言している「宇野宗佑」氏が首相に就任したのは心穏やかではなかった事でしょう。
91年にはライバル安倍氏が逝去。
自身は宮沢喜一内閣で副総理兼外務大臣に就任しており、ポスト宮沢の声が挙がるようになりました。
しかし好事魔多しとはこの事でしょう。
安倍氏と同じ膵臓癌に罹患してしまいます。
予後の悪い癌に罹患した事で生命の危険はもとより、入退院を繰り返した事は次期総裁選に向けて大きなダメージとなってしまいました。
1994年には「小沢一郎」氏の誘いに乗り、自民党離脱を考え自身の側近や派閥の議員を先行離脱させておきながら、自身は「河野洋平」氏の説得で自民党に残留。
これにより一気に求心力を失ってしまいました。
「渡辺美智雄」の死に様
1995年9月15日、東京都新宿区の東京女子医大病院で死去。
72才没。
死因は当時心不全だと公表されています。
しかし現代では既に渡辺氏の本当の病名について知られており、膵臓癌と記すメディアも多く見られます。
「渡辺美智雄」の死に様の信憑性て
ポスト竹下を争った安部氏と奇しくも同じ膵臓癌を患う事になりました。
但しこの当時はまだ癌の告知・発表には世間的にも消極的でした。
そのため安部氏が総胆管結石と当初発表していたのと同じ流れになりました。
胆嚢胆管結石として公表されています。
違う点は手術をした91年の時点で既に自身が癌である告知は医師から受けていた点でしょう。
首相への野心があったうえで、残された時間が少ないのを理解していた事が晩年の失態劇に繋がったと言えなくもありません。
まとめ
1995年9月15日、東京都新宿区の東京女子医科大学病院で死去。
72才没。
死因は心不全と発表されています。
まだまだ政治家は癌になっても公表しないご時世で、それはトップクラスになればなるほどでした。
政争に関わる弱みになるため徹底的に秘匿していたのは間違いないでしょう。
91年に膵臓癌の手術をしており、それ以降入退院を繰り返す様になりました。
奇しくもポスト竹下を争った安部晋太郎氏と同じ膵臓癌を患いましたが、公表した病名も同じ胆嚢胆管結石でした。
渡辺氏は報道番組含むテレビに積極的に出演した政治家として知られています。
しかしそれ故に病後の体調の悪さは映像を通して窺い知る事ができると言えるでしょう。