中村梅之助 (4代目)は、歌舞伎やテレビドラマ、舞台など幅広く活躍した人物です。
中村梅之助の晩年と最期を紹介します。
中村梅之助 (4代目)とは?
中村梅之助は、歌舞伎役者で前進座を創立した三代目中村翫右衛門の息子として生まれます。
8歳の時に初舞台を踏み、中村梅之助を襲名しました。
その後、前進座に入座します。
父である中村翫右衛門から教えを受け、前進座の幹事長を経て代表となりました。
テレビドラマでも幅広く活躍し、「遠山の金さん捕物帳」や「伝七捕物帳」といった時代劇で人気となりました。
NHKの大河ドラマ「花神」では、主人公の大村益次郎を演じています。
中村梅之助(4代目)の晩年
中村梅之助は、晩年になってからも前進座の舞台に立ち続けました。
テレビドラマなどでも役者として活動しており、2004年にはNHKの連続テレビ小説「天花」にも出演しています。
2008年には映画「母べえ」にも出演しました。
しかし、60代を超えてからは体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していたといいます。
2015年には前進座が国立劇場で行った「人情噺文七元結」という公演に出演しましたが、これが最後の舞台出演となりました。
中村梅之助(4代目)の最期
中村梅之助は、2015年11月に倒れ病院に搬送されました。
その際は回復して退院することができましたが、その数か月後に再び入院することとなります。
その年の5月には前進座の85周年となる公演が控えていたので、それに出演することを希望していました。
しかし、日増しに体力は低下し衰えていきました。
延命するため肺に管を通す処置をすることを提案されましたが、それを行うと会話ができなくなるため断りました。
そして2016年の1月に、85歳で亡くなりました。
死因は肺炎によるものです。
最愛の孫娘に看取られながら息を引き取りました。
中村梅之助(4代目)の家族
中村梅之助は、芸事一家に生まれます。
父親の中村翫右衛門は歌舞伎役者でしたし、母親も落語家であった談洲楼燕枝の娘でした。
そして息子も俳優として活躍している二代目中村梅雀です。
NHKのテレビドラマ「真田太平記」では、徳川家康と秀忠親子の役で共演を果たしています。
しかし、その後も共演の話は色々ありましたが、タイミングが合わず再び共演することはありませんでした。
中村梅之助(4代目)をめぐる逸話
息子である中村梅雀は前進座に26年間所属していましたが、退団することを決意します。
それを伝えられた中村梅之助は、息子の決意に理解を示したといいます。
劇団に引き留めることはしませんでした。
劇団の給与は高いとはいえず、持ち出しが多いなど経済的には苦しいことが分かっていたからです。
まとめ
中村梅之助は前進座の代表を務め、晩年も舞台に立ち続けていました。
しかし、85周年公演を前に入院し、復帰することは叶いませんでした。
2016年に85歳で亡くなっています。