自ら遺書として遺作を書いた?「栗本薫」の死に際とは?
この記事では栗本薫の晩年と死に際について解説していきます。
「栗本薫」とは?簡単に説明
栗本名義は作家名、本を読まない方や年輩の方にとっては「山内美郷」「小林千登勢」両氏とともに長期間『象印クイズヒントでピント』のレギュラーだった「中島梓」名義の方がお馴染みかもしれません。
昭和のクイズ番組では席順にある程度キャラクター性が固定されていました。
1〜3枠までレギュラーで出演した人物は他局の番組でも存在しないと思われます。
作家としては速筆かつ多筆で年間20冊以上の著作を出版し、2つのペンネームをジャンルで使い分けていたのが特徴だと言えるでしょう。
「栗本薫」の晩年
2008年7月に発売された『ガン病棟のピーターラビット』で07年11月の癌の再発から退院までの3ヶ月を綴ったエッセイは大きな反響を呼びました。
また79年からの長期連載となっている代表作である『グイン・サーガ』が未完で終わるのではないかと危ぶむ声も噴出しています。
それでも発刊ペースは落ちることはありませんでした。
『グイン・サーガ 黒衣の女王』126巻が09年4月5日に発売。
内容もようやく新編に突入した事をあとがきに書かれていました。
しかし2ヶ月に1度の発刊された同作のあとがきには体調の悪さを示す言葉が毎回綴られており、多くの読者が物語の先行きを危ぶんでいたのは間違いないでしょう。
しかし発刊ペースは変わっていない事から、栗本氏の容態が今すぐに急変する事はないと思っていた方も少なくないようです。
「栗本薫」の死に様
2009年5月26日の夕刻に死去したとされます。
56歳没。
死因は2007年に罹患した膵臓癌によるものでした。
27日未明に夫の「今岡清」氏が『mixi』の自身の日記内で報告しています。
「栗本薫」の死に様の信憑性
前述した『ガン病棟のピーターラビット』と著作本のあとがきだけでこの当時の栗本氏の体調の悪さを窺い知る事ができるでしょう。
07年10月に黄疸が発現し、下部胆管癌を疑われます。
膵頭十二指腸切除手術後に化学療法を1クール処置し、通院治療に変わった矢先に肝臓への転移が発覚。
腫瘍が1つならばラジオ波で焼き切れるも複数見つかったことで処置が叶わなくなってしまったそうです。
また原発が膵臓癌に変更。
予後の見通しは悪くこの時点で処置をしなければ余命1年の宣告を受けました。
これにより抗ガン剤の手を変え品を変えて闘病生活を送るも副作用に苦しむ日々が続きます。
これらは没後11月に出版された『転移』でより詳しく描かれる事になりました。
同著は08年9月から09年5月までの栗本氏の日記を纏めたもの。
終盤の文体、文章の乱れは苦しい闘病生活を表したものになっています。
まとめ
2009年5月26日夕方に死去したことが夫の『SFマガジン』元編集長の今岡氏から『mixi』の日記で報告されています。
56歳没。
死因は膵臓癌によるものでした。
90年代初頭の乳癌は右乳房全切除の末寛解。
しかし07年秋に膵臓癌を発症すると翌年春には肝臓に複数転移が発見されました。
抗ガン剤を複数使って寛解を目指すも副作用に苦しみ、09年5月に力尽きてしまいました。