この記事では、「開高健」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「開高健」とは?
「開高健」とは昭和の後期に活躍した作家で、現代の組織と個人をテーマに扱った小説を多く執筆しています。
代表作には、「裸の王様」や「パニック」「日本三文オペラ」等があります。
「裸の王様」は1958年に出版された短編小説で、芥川賞を受賞しました。
「パニック」は大量に発生したネズミの処置を通して、保身に走る役人の姿を描いています。
また、ベトナム戦争を取材し、「ベトナム戦記」や「輝ける闇」といった作品も執筆しました。
「開高健」の晩年
「開高健」は晩年も、作家として精力的に執筆活動を行っていました。
1987年には「耳の物語」は、大阪に生を受け大学を卒業するまでの青春を音の記憶で再現した物語です。
日本文学大賞を受賞しました。
また、「開高健」は現代社会の問題や戦争をテーマにした小説を多く執筆している作家ですが、趣味の釣りに関するエッセイ「フィッシュ・オン」や「オーパ」等もあります。
「オーパ」は週刊プレイボーイの企画で行われたアマゾン川での釣りツアーで、2年間で10万部も売り上げました。
それから週刊プレイボーイでは、読者からの人生相談に答える「風に訊け」という連載も行っています。
私生活では詩人及びエッセイストとして知られる牧洋子と結婚しており、道子という娘がいました。
夫婦仲はあまり良好とはいえなかったようで、晩年は妻子のいる杉並区の自宅の他に茅ケ崎に家を構え住んでいたといいます。
友人の一人は牧洋子のことを稀代の悪妻と評しており、「開高健」が世界を飛び回っていたのは妻から逃れるためだったといっています。
「開高健」の死に様
「開高健」は1989年に亡くなります。
食道がんを患っており、3月に茅ケ崎の病院に入院しました。
その後、東京の病院に転院して手術を受け退院しますが、肺炎を併発して再び入院し亡くなっています。
享年58でした。
「開高健」の死に様の信憑性
「開高健」は食道がんの手術をした後、退院して「珠玉」という作品を執筆しています。
入院中、「開高健」が妻である牧洋子のことを鬼と呼んだというエピソードもありますが、夫婦の関係がどうだったのかはよく分かりません。
娘の道子は「開高健」の死後、自死しています。
まとめ
「開高健」は晩年も執筆活動を行っており、茅ケ崎に居住していました。
食道がんを患い手術を受けて退院しますが、肺炎を併発して亡くなっています。
享年58でした。