「松宮一彦」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「松宮一彦」の死に際とは?日本の人物

TBSの人気音楽番組「ザ・ベストテン」の追っかけマンとして活躍したアナウンサーの松宮一彦は45歳で亡くなっています。

今回は、「ポスト久米宏」とも言われていた彼の死因に迫ります。

「松宮一彦」とは?簡単に説明

昭和28年に東京都豊島区で生まれた松宮一彦は、人気テレビ局TBSのアナウンサーで、同期入社には後に司会者やタレントなどで活躍する生島ヒロシがいました。

ラジオ番組でのディスクジョッキーの成功をとっかかりにして、人気テレビ番組「ザ・ベストテン」における「追っかけマン」に転身した松宮は、明るく軽妙な語り口で注目を集め、TBSの看板アナウンサーにまで上り詰めていきます。

その後、平成10年にTBSを退社してフリーアナウンサーとなった松宮は、翌年自宅マンションにて縊死(いし)しているところを発見され、そのまま死亡が確認されています。

享年45歳でした。



「松宮一彦」の死に様

平成11年9月28日、松宮一彦は、東京都渋谷区にある自宅マンションにて縊死により死亡しています。

死亡する前日に松宮から「体調が悪い」という連絡を受けていた当時の恋人が、松宮の自宅マンションを訪ね、持っていた合鍵で玄関のドアを開けようとしますが、ドアに重いものが引っかかっているようでなかなか開きませんでした。

少し開いたドアのすき間から彼女が中をのぞくと、中側のドアノブにネクタイが結びつけられており、そのネクタイで首を吊った松宮がすでに力なく横たわっている姿を目にしてしまいます。

検死の結果、室内には争った形跡もなく、遺書もなかったことから自殺と断定され、わずか45歳という若さで自死を選んだ衝撃だけが残されました。



「松宮一彦」の死に様の信憑性

縊死により亡くなった松宮一彦は、当時遺体を発見した恋人との関係に加えて、元恋人との関係も切れずに続いていました。

松宮が亡くなる1年ほど前には、当時付き合っていた恋人(元恋人)とハワイへ旅行に出かけ、この女性を乗せた車の運転をしていた松宮が運転中にハンドル操作を誤り、電柱に激突するという交通事故に見舞われています。

松宮は軽傷で済んだものの、同乗していたこの女性は腰椎圧迫骨折に加え、皮下神経断裂の重傷を負い、下半身に重度の後遺症が残ってしまったため、この事故による恋人との補償問題などで揉めたものの、それまで続いていた恋人関係は解消されないまま月日は流れていきます。

このような状況の中、松宮には新しい恋人が現れますが、事故により後遺症を負ってしまった元の恋人との関係も切れずに、いびつな二股交際が続いていきます。

その後、この新しい恋人からも別れ話を切り出された松宮は、この時期スキャンダルにより仕事は減少し、亡くなる直前には体重が12kgも減っており、明るいキャラクターで数多くのテレビ番組を盛り上げていた彼の姿は晩年は見る影もなく、自宅にこもりっきりの状態で自死を選んでしまったのでした。

「松宮一彦」の小ネタ等

松宮一彦は、前述した恋人2名に加えて、その彼女たちとは別に、3人の女性とそれぞれ3回ずつ結婚と離婚を繰り返しています。

しかしながら、子宝にはまったく恵まれませんでした。

まとめ

TBSの看板アナウンサーとして「ザ・ベストテン」などの人気番組を支えた松宮一彦は、45歳という若さで亡くなっています。

フリーアナウンサーの先駆けとも言える彼の残した功績は、現在のテレビ界においても重要な役割を果たしたと言っても過言ではないでしょう。

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