この記事では、「松原正樹」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「松原正樹」とは?
松原正樹とは日本を代表するギタリストです。
ヤマハ・ネム音楽院で学び、ハイ・ファイ・セットのバッグバンドに参加しました。
様々なミュージシャンのヒット曲のレコーディングに携わっており、松任谷由実や松山千春、徳永英明、さだまさし、辛島美登里、中森明菜、松田聖子などが挙げられます。
また、ソロとしてもアルバムをリリースし続け、その数は21枚にも上りました。
「松原正樹」の晩年
松原正樹は晩年、スタジオミュージシャンとしてもソロとしても活躍していました。
2002年にはソロ・デュー25周年を記念するライヴ、2008年には30周年を記念するライヴを開催しています。
また、プライベートではキーボーディストの南部昌江と結婚しており、晩年には一家で那須高原に移住しています。
自然豊かな環境で、スタジオ兼自宅を構えていました。
移住を決意したのは、四季の変化を体で感じるところに住みたいとの思いからです。
オフィシャルサイトでは、ゆったりとした気持ちで音楽制作を行いたいと綴っています。
「松原正樹」の死に様
松原正樹は、2016年2月8日に亡くなりました。
死因は十二指腸がんです。
享年61でした。
十二指腸がんが小腸がんの一種で、早期段階では無症状であることが多いです。
十二指腸より手前であれば内視鏡で発見できますが、十二指腸より奥の部位にがんができると内視鏡で発見することはできません。
そのため発見された時には、進行した状態になっていることが多いようです。
「松原正樹」の死に様の信憑性
松原正樹は亡くなる前年に、十二指腸がんと診断されました。
手術を受けますが、他の臓器にも転移が見られ既に末期の状態だったといいます。
その後は、緩和治療に切り替えて闘病生活を送っていました。
那須の自宅近くにある病院で緩和治療を受けています。
闘病生活を送る松原正樹を支えていたのは妻です。
入院してからは痛みを緩和するための鎮痛剤を使い、意識が混濁することもあったようです。
夢の中でレコーディングする様子を口にしていたと、その様子を見ていた妻が語っています。
まとめ
松原正樹は那須に移住し、音楽活動を続けていました。
しかし、十二指腸がんを患います。
末期がんだったため緩和治療を行い、闘病生活を送っていました。
そして、61歳で亡くなります。