「木村功」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「木村功」の死に際とは?日本の人物

本人には死の予兆があった?「木村功」の死に際とは?

この記事では木村功の晩年と死に際について解説していきます。

「木村功」とは?簡単に説明

「黒澤明」監督作品群の中期に属する映画を代表する役者だと言っていいでしょう。

『野良犬』では復員兵から落ちぶれた遊佐役で「三船敏郎」氏が演じる村上刑事と対峙。

クライマックスシーン後の彼の絶叫は惨めな犯罪者に身を落とした復員兵に自分達の日常の苦境を重ねた人も多いと言われます。

敗戦から4年という世相を如実に打ち出した記憶に残る名演技だったと言っていいでしょう。

それ以降も『七人の侍』や『天国と地獄』などで名演技を披露しています。



「木村功」の晩年

1950年に自身も中核メンバーとして参画した劇団青俳でしたが内部分裂。

そして1979年11月に倒産の憂き目を見ています。

倒産の原因は乱脈経営とも幹部の横領とも言われますが、いずれにせよ1億5000万〜7000万と呼ばれるほどの借金を功氏自身も背負う事になりました。

80年4月には木村氏が代表として元社長を相手に損害賠償請求を起こしています。

既にこの時から胃の痛みはあったようです。

しかし受診はしたもの借金や劇団解散のトラブルによる神経性胃炎だと本人も認識。

これがまさか重篤な病に対する身体からの警告だと気付く余地もありませんでした。



「木村功」の死に様

1981年7月4日3時30分、渋谷区の自宅で逝去。

58歳没。

死因は食道癌が全身に転移、その憎悪による心不全でした。

「木村功」の死に様の信憑性

1984年に講談社から出版された夫人の「木村梢」氏著作の『功、大好き 俳優木村功の愛と死と』で闘病生活についての詳細が描かれています。

最初の異変は1980年9月24日の事だったと言います。

胃が痛くて一晩中眠れずにいたと功氏は語ったそうです。

しかしここで彼のとった行動は東京・三軒茶屋の主治医ではなく、わざわざ電車で熱海まで足を運んでの受診でした。

その後も3ヶ月の旅巡業中にも各地で紹介状により内科を受診したといいます。

旅巡業こそは無事終えることができたもの、翌年1月には検診により胃癌の宣告を受けてしまいました。

以降は加速度的に病状は進行。

春にはリンパ節への転移が確認されたのを皮切りに全身へジワジワと転移が進行してきます。

家族会議の末に治らないのならばと最期の刻は退院して自宅で迎える事を決断。

手術は中止して残された時間を過ごしています。

それでも癌の進行は歩みを停めてはくれません。

7月4日最期の日には功氏の好んだブランデーを梢氏が口移しで飲ませながら、先に逝ってしまう功氏の無情を呟いたそうです。

まとめ

1981年7月4日3時30分、渋谷区の自宅で逝去。

58歳没。

死因は食道癌から全身に転移して衰弱。

最期は心不全によるものでした。

当初発見されたのは胃癌でしたが、進行が想像以上に早く全身へ転移していったと言います。

80年9月24日に胃痛により一晩中眠れなかったと夫人に告白している一方で、わざわざ東京から電車で熱海の病院を受診していました。

既にこの時点で本人にしかわからない普段の胃痛とは全く違った痛みがあったのではないかと推測されます。

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