「小林カツ代」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「小林カツ代」の死に際とは?日本の人物

人気テレビ番組「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」でお馴染みの料理研究家である小林カツ代は、76歳で亡くなっています。

今回は家庭料理のカリスマとも称された彼女の死因に迫ります。

「小林カツ代」とは?簡単に説明

昭和12年に大阪府大阪市で生まれた小林カツ代は、料理研究家として有名な人物で、200冊を超える料理関係の著書を出版しています。

大阪市で経営する製菓関連の卸問屋の一家に生まれた小林は、21歳で結婚した当初は料理は苦手な部類で味噌汁さえ満足に作ることができませんでしたが、その後腕を磨き、自身が投稿したテレビのワイドショーへの投書がきっかけで、テレビ番組に出演して料理を披露するようになります。

そしてこの番組のヒットにより、大阪ローカルのレギュラー番組を持つことになった小林は、同じ時期に出版した「ミセス漫画学校へ行く」がNHK銀河ドラマ「てんてこまい」の原作として起用されるなど、幅広い業界で活躍を続けますが、平成26年1月23日、多臓器不全により76歳で亡くなっています。



「小林カツ代」の死に様

小林カツ代は、多臓器不全により76歳で死亡しています。

65歳を迎えた頃にくも膜下出血を発症してしまった小林は、療養生活を送る傍ら細々と料理家としての活動を続けていましたが、70歳を超えてからも依頼されるとけっして断わることができない真面目な性格により、高齢にもかかわらず常に過密なスケジュールを組んでいたと言います。

60代を迎える頃には数多くのテレビ番組に出演しており、出版活動も多忙を極めていた小林は、この時期休む暇がまったくなかったそうで、くも膜下出血を発症するまで全力で走り続けている状態でした。

療養生活を送りながらも、次々と舞い込んでくる仕事をこなしなていた小林でしたが、最終的には76歳で永眠しています。



「小林カツ代」の死に様の信憑性

65歳でくも膜下出血を発症した小林カツ代のこの時期の平均睡眠時間はわずか3時間ほどでした。

すでに60歳を超えている小林のあまりの多忙さに対し、彼女の家族や関係者などは連日心配していましたが、「私が死んでもレシピは生き残るから大丈夫」などと発言して、仕事量はけっして減らさなかったそうです。

ある日、テレビ番組の打ち合わせをしている最中に突如体調不良を訴えた小林は、そのまま意識を失ってしまい病院へ搬送されます。

緊急手術は成功したものの術後の容態は安定せず、常に点滴を打ったまま闘病生活を送ることを余儀なくされた小林は、徐々に話もできない状態になっていきます。

この療養生活については一般に公表されていなかったため、以前と同じように仕事の依頼が入り続けていた状況でしたが、それらすべてに応えることはできないもどかしさから、病床で悔し涙を流す姿が度々散見されています。

「小林カツ代」の小ネタ等

晩年療養生活を送っている最中に、自身と同じく料理研究家である実の息子ケンタロウ氏がオートバイ事故により頭部骨折などの重傷を負っています。

この事故を起こす前までは、公私ともに母親を支え続けていたケンタロウでしたが、自らが起こしてしまった事故の後は一命は取り留めたもののまったく母の元を訪れることができなくなってしまいます。

そしてこの実の息子の大事故については最期まで小林には伏せられていたそうです。

まとめ

カリスマ料理研究家として知られる小林カツ代は、76歳で永眠していますが、彼女の残してきた数多くの出版物は未だに人気の衰えを知らず売れ続けています。

また、人気テレビ番組「料理の鉄人」において、鉄人である陳建一に勝利した彼女の頼もしい姿は昨日の事のように目に浮かんできます。

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