「衣笠祥雄」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「衣笠祥雄」の死に際とは?日本の人物

この記事では、「衣笠祥雄」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。

「衣笠祥雄 (きぬがさ さちお)」とは?簡単に説明

「衣笠祥雄」とは日本のプロ野球選手であり、引退後は野球解説者や野球評論家、タレントとして活動していた人物です。

1970年代後半から1980年代にかけて、広島カープ最盛期を築き上げる主柱となった選手であり、「鉄人」の愛称で親しまれました。

連続試合出場記録日本記録、及び世界2位の記録保持者であり、国民栄誉賞受賞者でもあります。



「衣笠祥雄」の晩年と最期

現役引退後の1988年から2018年の半ばまでは31年に渡り、東京放送(=TBS)の野球解説者を務めました。

その傍らで、朝日新聞の嘱託で運動関係のコラム執筆やタレントとしても活動するほか、洋楽にも精通していたことを活かして、TBSラジオの音楽番組「鉄人ミュージック」では自らパーソナリティと選曲を務めます。

引退後、球団の監督、及びコーチをやらなかったことに対して、「衣笠祥雄」「自分ひとりではどうこうできない人間関係の問題が原因」であることを示唆しています。

平成29年(2017年)頃から解説の際のかすれ声を心配する声が周囲から挙がるようになりました。

そして、平成30年(2018年)の4月23日、71歳で東京都内で逝去しました。



「衣笠祥雄」の死に様の信憑性

死因は「上行結腸がん」でした。

逝去する4日前の19日に横浜スタジアムで開催された横浜DeNAベイスターズvs読売ジャイアンツ戦の折、中継解説員として、TBS系列の生放送に出演したのが生前最後の出演となるのでした。

当時の解説でも「衣笠」の声の異変や体調に対して、視聴者から不安の声が挙がっていました。

「衣笠」の体調を考慮したTBSの配慮により、ダブル解説員として急遽呼ばれていた「槇原寛己」も、当時の「衣笠」の体調は芳しくなく、声が出づらい状態だっと述べています。

「衣笠」の不幸はそうした矢先のことであったそうです。

その後、同年の4月28日から30日まで、広島球団は阪神タイガースとの3連戦を「衣笠祥雄」への追悼試合として、球団側は喪章を着用して試合に臨みました。

ちなみに、没日の4月23日は息子で俳優を務める「衣笠友章(きぬがさ ともあき)」の誕生日でもあったのです。

まとめ

「衣笠祥雄」は平成30年(2018年)の4月23日、「上行結腸がん」により71歳で逝去しました。

奇しくも没日である4月23日は息子「友章」の誕生日でもありました。

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