「池波正太郎(いけなみしょうたろう)」とは?
池波正太郎の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「池波正太郎」とは?簡単に説明
池波正太郎は戦後の日本を代表する時代小説・歴史小説作家です。
戦国期・江戸時代を舞台にした時代小説が多く、代表作に「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」「真田太平記」などがあります。
さらに1960年には「錯乱」で直木賞を受賞しています。
また、歴史小説作家だけでなく、美食家・映画評論家としても知られていました。
「池波正太郎」の晩年
昭和から平成に代わる頃、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の3大シリーズなどを中心に多くの連載を抱えながらの超多忙な作家活動でした。
そんなことからこの頃より池波は体調を崩しています。
1990年に入ってからも二代目中村吉右衛門主演のテレビドラマ「鬼平犯科帳」は好評で、同俳優主演による「狐火」が歌舞伎座で上演されますが、池波の体調は依然として悪く、この状態は亡くなるまで続きます。
なお余談ですが、池波は1983年2月10日付の読売新聞に「還暦を思う人生」と題したエッセイを寄せており、その中で「これからは最後の難関(死)へ向かわねばならないが、こればかりは未経験のことゆえ、不安だ」という死生観を語っています。
「池波正太郎」の死に様
池波正太郎は1990年5月3日に急性白血病のため、満67歳(享年68歳)の若さで亡くなっています。
1990年3月に池波は急性白血病で東京神田の三井記念病院に緊急入院しています。
前年から体調を崩していましたが、入院した時はすでに体重は激減していました。
その身体はとても歩ける状態ではないほどでしたが、入院直前まで「鬼平犯科帳」の原稿を書き続けていたと言われています。
入院後も血圧と脈の乱高下が繰り返す状態だったそうですが、そんな状態でも執筆のためにペンを持とうとしていたようです。
しかし願い空しく、入院から2か月後の同年5月3日に死去しています。
「池波正太郎」の死に様の信憑性
池波正太郎は病院内での死去につき、その死に様については上述の通り信憑性は高いでしょう。
池波は入院中にもかかわらず少しでも体調がよい日は執筆活動を続けていたと言います。
池波の病室を訪れた知人の話だと、「ベッドでしきりに文字を書いていましたが、上手く書けず文字も判読できない状態でした。
しかし、その中で「鬼平」と「梅安」という字だけは読めました」と語っています。
池波の死によって、連載中だった「仕掛人・藤枝梅安_梅安冬時雨」と「鬼平犯科帳_誘拐」は同年4月号で未完中絶となっていますが、特に愛着のあったシリーズ作品の執筆に対する執念がうかがえます。
まとめ
戦後を代表する時代小説・歴史小説作家の池波正太郎は1990年5月3日に急逝白血病のため死去しています。