改名が大当たり!骨まで愛して「城卓矢」の死に際とは?
この記事では城卓矢の晩年と死に際について解説していきます。
「城卓矢」とは?簡単に説明
「城卓矢」名義での再デビュー曲『骨まで愛して』はミリオンセラーの140万枚の売上を記録。
日活製作で「渡哲也」主演、ヒロインを「松原智恵子」「浅丘ル子」諸氏が務めた事で有名です。
また同曲は昭和の名曲としてCMの替え歌として使われた事や海外でもカバーされ、広く認知を受ける事になりました。
『月光仮面』でお馴染みの「川内康範」氏は叔父にあたり、次作『あなたの命』でもタッグを結成。
同じく渡、松原両氏が主役を務めています。
またこの2作は歌謡映画のはしりと言うべき存在になりました。
「城卓矢」の晩年
1971年に1度は引退したもの、7年後の1978年に本名「菊地正規」の名前で作曲した『ひとりにさせて』で歌手として復帰しています。
しかしテレビへの出演は限定的なものであり、ほとんどがライブラリ映像を使っての放送、もしくは楽曲だけの使用となりました。
これは没後も同様で60年代の邦楽を特集した番組では常連曲だと言えるでしょう。
復帰はしたもの露出は少なく、自然にフェイドアウトしていく事になりました。
「城卓矢」の死に様
1989年5月9日、神奈川県横浜市の横浜市立大学附属病院で死去しています。
53歳没。
死因は肝硬変の進行による食道静脈瘤破裂によるものでした。
「城卓矢」の死に様の信憑性
その死については多く語られる事はありません。
公表されている部分が極めて少なくどの様な闘病生活を送ったかは不明です。
1ついえるのは、赤坂溜池でクラブ経営を行っている時には仕事の無い日は店に顔を出して自ら接客をしていたそうです。
経営に苦心していた事が旧知の「瀬谷福太郎」氏のブログで明らかにはれました。
自然に酒量は多くなっていた事はわからずしもないがな。
また若い時分から飲み歩いており、きっぷのいいお金の使い方をしていたとの事でした。
それが肝臓を壊して入院する事の遠因になったのは間違いないでしょう。
まとめ
1989年5月9日、神奈川県横浜市の、横浜市立大学付属病院で永眠。
53歳没。
死因は肝硬変の悪化に伴う典型的な症状食道静脈瘤破裂によるものでした。
肝不全、肝臓癌と並ぶ死亡要因としては珍しくないものでした。
東京都港区赤坂の溜池町にクラブを経営。
仕事のない時は自ら顔を出して接客していたそうです。
若い頃からお金の使いっぷりの良い飲み方をしていたと言いますから、かなり酒量を呑める人だったのは間違いないでしょう。
それが肝臓を壊して入院する要因になったと推測されます。