命の限り癌と向き合った「山下弘子」の死に際とは?
この記事では山下弘子の晩年と死に際について解説していきます。
「山下弘子」とは?簡単に説明
1974年に日本に進出したアメリカンファミリー生命『AFLAC』のCMに登場していた女性です。
同社は日本におけるがん保険・医療保険保有契約件数第1位でもあり、契約中の方は同社からの郵送物で見た方も多いのではないでしょうか。
またゴールデンタイムに同社のテレビCMも多く流され、ネット広告で見た方も多いでしょう。
立命館大学在学中に19才の若さで肝臓癌に罹患してしまいます。
前向きに癌と向き合う姿は多くの人の共感を呼びました。
「山下弘子」の晩年
癌で余命宣告を受けたものの前向きに向き合い、講演活動やブログなどで積極的に情報を発信しています。
しかしそれは癌を商売にしているなど誹謗中傷の声に晒される事にも繋がりました。
しかし癌の進行は止める事はもはや困難。
検査であらゆる部位に転移は進んでいました。
しかし17年6月には今までお世話になった人を集めて結婚式を敢行しています。
結婚のお相手は「前田ともき」氏。
残された時間は多くないのを互いに理解しての結婚になりました。
「山下弘子」の死に様
2018年3月25日に神戸市内の入院先で死去。
25歳没。
死因は肝細胞癌によるものでした。
「山下弘子」の死に様の信憑性
一般の方ではありますが、講演会に多々出演しており、また没後も遺族の方の意志で彼女の闘病記については削除されずに残っており、今でもネット上で見る事が可能です。
またマスメディアへの出演も多く、動画サイトにもCMはもとよりインタビューも視聴可能。
亡くなった経緯について2月末に体調不良で倒れて、病院へと緊急搬送されたそうです。
容態は予断を許さないものでしたが、連日に渡り手術ができる体力は残されていました。
しかし意識は回復には至らず闘病生活の末、力尽きています。
没後に兵庫県議の「前田ともき」氏著作の『「愛してる」 山下弘子、5年間の愛の軌跡』で闘病記については垣間見る事ができるでしょう。
また当時彼女の逝去と通夜を知らせるブログにも様子が記されています。
3週間意識は戻る事がなかったため、苦しむこともなくゆっくりと別れの時間を取れたと胸中が語られていました。
まとめ
2018年3月25日朝6時頃、入院中の神戸市内の病院で逝去。
25歳没。
死因は肝細胞癌によるものでした。
19歳で癌が発覚した時には既に腫瘍は破裂寸前も、なんとか手術ができた事で命を取り留めています。
しかし肝臓癌は再発し、肺に転移。
17年12月の検査では骨はおろか心膜にまで転移が見られたそうです。
18年2月末に倒れると3日続けて手術が行われ、それに耐えるだけの体力は残されていました。
しかし意識が約3週間戻らず最期の刻を迎えています。