名脇役と評され数多くのテレビドラマや映画、舞台などで活躍していた深浦加奈子は48歳で亡くなっています。
今回は、様々な役柄をこなし多くのファンから愛されていた彼女の死因に迫ります。
「深浦加奈子」とは?簡単に説明
昭和35年に東京都で生まれた深浦加奈子は、舞台やテレビドラマで活躍していた女優です。
明治大学在籍中に劇作家や演出家として知られる川村毅らと共に劇団第三エロチカを旗揚げした深浦は、舞台を中心に看板女優として活躍していましたが、平成元年に退団してその後もテレビドラマやCMなどで活躍を続けていきます。
キャリア中盤にしてすでに小姑役やお局役などで替えの効かないバイプレーヤーぶりを発揮していた深浦は、その後音楽ユニット「東京パノラママンボボーイズ」との共演の際、「リリィ深浦」や「六本木ネネ」名義で独特な昭和歌謡を披露しています。
「恋人は仕事」と語り生涯独身を貫いていた深浦でしたが、平成20年8月25日、S状結腸がんにより48歳で死去しています。
「深浦加奈子」の死に様
深浦加奈子はS状結腸がんにより48歳と言う若さで死去しています。
平成15年ごろから体調を崩し始めた深浦は、2年後、所属事務所に迷惑をかけたくないという理由からシス・カンパニーを退社し独立しており、その後は実の父親が経営していた会社に所属することになります。
以降は環境アーティストや美術家として知られていた姉の三木祥子が深浦のマネージャーを務め、開業医として活動していた義兄が彼女の療養生活を全面的にサポートしていくことになり、管理栄養士だった実の母は療養中の栄養管理を行うなど、家族全員で彼女の闘病生活を支え続けます。
家族総出でのバックアップが一旦は功を奏しますが、最期はS状結腸がんにより48歳で力尽きています。
「深浦加奈子」の死に様の信憑性
深浦加奈子が罹患していたS状結腸がんは、彼女が入院した時には予想以上に深刻な状態でした、がんの手術は成功したものの、その後がんは肝臓や胃などに次々と転移していき、肺に転移した際には呼吸困難にも陥るようになっていきます。
担当医師は余命をできる限り安らかに過ごしてもらうべく終末医療を勧めますが、深浦は断固としてこの申し出を拒否しています。
安らかに迎える死よりも、もがいて生き抜くことを決意していた深浦は、放射線治療に入っていきますが、吐き気や嘔吐を繰り返し、抜け毛にも悩まされるようになります。
自身の変わり果てた姿を隠すために入院中は必ずかつらを着用していた深浦でしたが、ついにがんに打ち克つことは叶わず48歳で永眠しています。
「深浦加奈子」の小ネタ等
死を迎える直前まで仕事を続けていた深浦加奈子は、晩年は衰弱した辛い身体で人生を最期まで走り抜けました。
彼女の葬儀には「科捜研の女」などで共演した沢口靖子や陣内孝則、松嶋菜々子などの500名を超える友人や関係者たちが参列していましたが、その多くの人々が深浦の死因や闘病していた事実についてまったく知らなかったと言います。
まとめ
どんな役でもこなしてくれるバイプレイヤーとして数多くのファンに愛された深浦加奈子は48歳で亡くなっています。
自身の病状をできるかぎり隠し、最期まで女優の魂を見せ続けてくれた彼女の優しい笑顔は、今でも多くのファンや関係者の心に宿っていることでしょう。