この記事では、「牧伸二」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「牧伸二」とは?
牧伸二とは東京都出身の芸人で、ハワイアンの音楽に「やんなっちゃった」のフレーズをつけて歌うウクレレ漫談で知られています。
高校卒業後に現在のTBSであるラジオ東京の「しろうと寄席」に出演し、7週連続名人位を獲得したことで漫談家の牧野周一に弟子入りしました。
風刺を絡めて面白おかしく歌う漫談のスタイルが人気となり、1963年から1978年まで演芸番組「大正テレビ寄席」の司会を15年にわたって務めています。
「牧伸二」の晩年
牧伸二は晩年、テレビに出演することは少なくなりましたが、演芸場を中心に活動していました。
1999年には、東京演芸協会の第6代会長に就任しています。
ただし、2002年には脳出血を起こし、しばらく療養生活を送りました。
リハビリの後、復帰しています。
2004年には古希を記念して、「牧伸二古希70才記念コキコキロック70」をリリースしています。
渋谷クラブクアトロで、記念ライブ「平成クアトロ寄席」も開催しました。
2005年には「牧伸二のウクレレ人生」というアルバムもリリースしています。
「牧伸二」の死に様
牧伸二は2013年4月29日に急死しました。
多摩川に丸子橋の欄干から投身自殺したのです。
その様子を目撃した人がいたため警察官が駆け付け、川に浮かんでいるところを発見されました。
病院に搬送された後、死亡が確認されています。
享年78でした。
「牧伸二」の死に様の信憑性
牧伸二が川に身を投げたのは、会長を務めていた東京演芸協会での金銭トラブルが原因とされています。
500万円以上の協会の資金が使途不明となっていて、その責任を追及されていました。
牧伸二が協会の資金を使い込んだのではないかという噂もありますが、真相ははっきりしていません。
会長としての責任を感じ、自殺したのではないかともいわれています。
また、牧伸二は高齢だったこともあり、認知症気味だったという話もきかれます。
亡くなる2年程前には、煙草の不始末でボヤ騒ぎを起こしたこともありました。
認知症により誤って橋から転落したのではないかという説もあります。
まとめ
牧伸二は晩年も演芸場で活動していましたが、会長を務める東京演芸協会で金銭トラブルを抱えていました。
そして、78歳で橋の上から転落し亡くなってしまいます。
自ら身を投げたと考えられていますが、認知症の影響で誤って転落したという説もあります。